逃亡961日。殺人犯市橋の真実
今から11年前の2007年3月26日夜9時すぎ、
警察はある男のマンションへ。
警察が家の中で事情聴取をしようとしたその時!
男は突然逃げ出した。
6人もの刑事を振り切ったこの男の名は市橋達也。この時28歳。
そしてここから、日本中を騒がせた2年7か月にも及ぶ逃亡劇が始まる。
市橋の部屋には女性の物と見られる靴と毛髪があり、ベランダにはなぜか浴槽が。
中は土で埋め尽くされていた。
そして女性が無惨な姿で発見された。
イギリス人のリンゼイ・アン・ホーカーさんだった。
この事件は大きく取り上げられた。
市橋達也は一体なぜ殺人を犯し、そしてどうやって逃亡を続けたのか?
イギリス人女性との出会いが運命を変える
市橋は、医師と歯科医の両親のもとに生まれた。
将来は医師にという両親の期待を背負っていたが、結局4浪しても医学部へは行けず、
千葉大学の園芸学部へ。
しかし、大学卒業後は就職はせず、親が所有するマンションに住み続け
バイトもせず、仕送りだけで生活する日々。
庭園デザイナーの勉強のため、海外留学を目指すと周りには言っていたものの
実現などはせず、時間だけが過ぎていた。
やがて親からは仕送りを止めると言われ、
さらにマンションも出て行くように言われたという。
事件が起きたのはそんな矢先の事だった。
今からちょうど11年前、3月20日の深夜。
市橋は行徳駅前で外国人女性を見かけた。
すると、突然こう話しかけた。
市橋「以前、洗濯機を直してあげたの覚えてません?」
それは近づくための口実。
全く身に覚えがない女性は「人違いです」と告げ去っていった。
すると市橋は、彼女を追いかけこう言った。
市橋「私は美術を学びたくて、英語を教えて欲しいんです。
怪しいものではありません。水だけでも飲ませてもらっていいですか?」
これが後に殺されたリンゼイさんとの出会い。
彼女は日本人を信用していたため、市橋に水を飲ませる事にした。
家には、ルームメイトとその友達がいた。
水をもらった市橋は、英語を教えてもらう代わりにとリンゼイさんの似顔絵を描いた。
このやりとりから自分の名前、電話番号、メールアドレスも書き、
その代わりにリンゼイさんの連絡先を手に入れた。
殺人に手を染め、長い逃亡生活へ
その後、数回メールのやりとりをして1時間3500円で英語の個人レッスンを
受ける事になった。
そして、3月25日。事件は起きた。
午前9時頃、2人の姿は喫茶店の防犯カメラにあった。
英語のレッスンが行われ、45分が経った頃。
市橋はレッスン料を忘れたと告げ、
自分の家が近くだから一緒に来てくれたらすぐ払うとリンゼイさんに言った。
お金をもらうため市橋に付いて行ったリンゼイさん。
そして家の中に入ると市橋は豹変し、強引に体を奪い手足を拘束。
そして浴室から浴槽を部屋まで持ってきて、リンゼイさんをその中へ入れ監禁した。
その約16時間後...首を絞め、殺した。
リンゼイさんはまだ22歳。母国イギリスにはボーイフレンドもいた。
殺害した後、市橋は驚きの行動に出る。
ホームセンターで、土や発酵促進剤などを大量に購入。
一方その頃、リンゼイさんの勤務先から電話が。
彼女が無断欠勤しているとの事だった。
市橋に英語のレッスンをすると聞いていたルームメイトは警察に通報した。
市橋と行徳駅で待ち合わせていた事を伝えると、警察が周辺を捜索。
すると、防犯カメラに映る市橋とリンゼイさんの姿が確認された。
一方、市橋は遺体を土で埋めていた。
そしてまさに外出しようとした時、警察が来たのだ。
6人もの刑事を振り切って逃走した市橋。
実は、高校時代は陸上部に在籍し、リレーでは他の選手をごぼう抜きする程、
足の速さは有名だった。
無我夢中で走り続けた市橋。気づけば裸足だった。
ガラスを踏んだのか、足は血だらけになっていた。
警察の追手に怯える毎日
実は市橋、過去に一度逮捕されている。
大学時代にマンガ喫茶で落ちていた財布を見つけ盗もうとした。
しかし、店員に注意されるといきなり階段から突き落とした!
こうして逮捕されたが、結局親が示談金を出して払ってくれたため前科は付かなかった。
家に警察が来たとき、まず頭に浮かんだのは父親の事だったという。
しかし、もう頼れない。
持っていた金は5万円弱。
自分が捕まったらどうなるのか?死刑になるのか?
絶対に捕まりたくない!
その為にこの顔を変えなければと考えた市橋は、とんでもない行動に出る!
ある病院のトイレに侵入。
事前にコンビニで購入した裁縫道具を使って、なんと鼻を縫って縛った。
顔の印象を変える為だった。
事件の翌日。
市橋の逃走は日本中が注目する事となった。
その後、逃走資金節約の為、無賃乗車を繰り返す市橋。
最初は北へ向かい、埼玉、茨城、群馬と移動した。
眠らず記憶がなくなる程、歩き続けた事もあった。
いずれ金は尽きてしまう。
働けば金も稼げてウマいものが食べられるが、しかしこの顔は知られている。
市橋は、またも顔の印象を変えるため自ら分厚い下唇を切り取った。
そして大阪の西成区に。
この大阪で、市橋は初めて自分の手配書を見た。
追われる恐怖...やっぱり働くのは危険だ!
そう感じた市橋は四国の松山からフェリーに乗って九州へ向かい、鹿児島から沖縄へ。
事件から3か月が経っていた。
市橋逃亡についての報道は過熱し、
それはラジオを購入した市橋も知っていた。
人目につかない南の島で暮らすため、ほとんどの金を費やし
自給自足に必要だと思うものを買った。
那覇からフェリーで久米島へ、その近くの小さな島へ渡った。
魚を食べようとしたが、簡単に釣れるはずもない。
飲み水は拾ったクーラーボックスを利用し海水を濾過してみるも、
とても飲めるものではなかった。
夜は大量の蚊や得体の知れない生き物に襲われ、寝袋にくるまって寝た。
そんな過酷な生活が1週間。
脱水症状になり、空腹に耐えられなくなった市橋はこの生活に挫折した。
金を求めて再び大阪へ
100万円の懸賞金がかけられた2007年6月。
市橋は再び大阪を目指す決意をした。
その頃、市橋の特徴が左ほほの2つのホクロであると指名手配書に書かれていた。
これを見た市橋は自ら、2つのホクロを切り取った。
そして仕事を探すため、大阪に辿りついた。
西成区の職業案内所で神戸にある住み込みで働ける会社を見つけた。
名前、年齢、出身地、血液型などは適当に書いた。
仕事は、日当1万円。
そこから寮費1日3000円を引かれる。
業者や職人の下っ端として、なるべく人と話さず黙々と働いた。
仕事はキツかったが、それよりもまともな食事が食べられるのがうれしかった。
本来左利きの市橋は、みんなの前では右利きを装って食べていた。
夜勤は日当が高くなるため、仕事があれば昼でも夜でも働いた。
1か月で25万ほど稼いだ市橋。
金は見つからないようビニールに入れ、常に身に付けていた。
こうして、3か月働いて80万程稼いだ時。
職場の同僚が、テレビでイギリス人女性の指名手配犯を探すという番組を見た、
と話しかけてきた。
やはり、同じ場所に長居することは危険。
そう思い、マンガ喫茶である事を調べた。
それは美容整形。
美容外科には身分証明なしで施術を受けられるところもある。
市橋は60万円を使い、鼻を高くして小鼻を小さくする手術を受けた。
その後、大阪の仕事場には戻らず、また沖縄の島へ。
コンクリートブロックの建物を見つけ、
今回は、サバイバルの本を読み必要なモノを買い込み、暮らした。
それでも空腹に耐えられなくなると再び大阪、西成へ。
別の住み込みの仕事を見つけて働いた。
一般人からの通報で足取りが明らかに
市橋逃走から1年。
肉声も公開され、警察も捜査を強化していく。
行方についてすでに自殺している、新宿のゲイバーに出入りしているなど
世間では様々な憶測が飛び交った。
市橋が働いている仕事場は、様々な事情を抱えている人が多い。
100万円欲しさに適当に通報されるかもしれない。
そんな身の危険を感じると、すぐに姿を消した。
住み込みの現場では逃げる人は多くいたため、捜索される事はなかった。
こうしてフェリーで何度も沖縄の島に行き、金がなくなると
関西での住み込みの仕事をする生活を繰り返した。
逃亡生活2年6か月。
仕事場の寮に戻ってくると、スーツ姿の男たちがいた。
刑事だと思った市橋はすぐに逃げた。
そして市橋が考えたのは、また顔を変える事だった。
この時の所持金は90万円程。
安く顔を変えられる病院を探し、たどり着いたのは名古屋の病院。
ここで眉間を高くする手術を受けた。
手術は無事終わった。
しかし手術後、市橋の写真をみていた医師はある事に気づく。
以前にホクロをとった痕を不審に思ったのだ。
医師は過去にニュースで見た市橋のホクロの特徴を覚えていた。
その場所とキズが一致する...医師は警察に通報した。
警察は病院を張り込み、抜糸の日に来るのを待ったが市橋は現れなかった。
この頃市橋は名古屋を離れ、福岡のビジネスホテルにいた。
抜糸は自分で行った。
もう昔の市橋達也の顔ではない。
そうタカをくくっていたが、美容整形を受けた事はニュースでも報じられた。
顔の変わった市橋のニュースが日本中をかけめぐった。
すると市橋が住み込みで働いていた場所からも通報が。
市橋の足取りが次々に明らかになっていく。
長かった逃走劇に終わりの時が訪れる
市橋の中で逃げる場所はあの島しかなかった。
マンガ喫茶で、沖縄行きフェリーの時間を検索してふと気づいた。
美容整形で使用した名前と、パソコンを使っていたマンガ喫茶のカードの名前が
同じだったことに。
ここで沖縄行きのフェリーについて検索していたことが知られれば、沖縄に行くのは危険。
しかし、どうしても沖縄の島をあきらめきれなかった市橋は、
街中でパソコンの置いてある店に入り、沖縄行きのフェリーを検索。
神戸から出発している事を調べ、新幹線を使い神戸へ。
そして、神戸のフェリーターミナルに来たがこの日は便が出ていなかった。
近くにいた職員に、大阪からは夜の便があると聞き、
乗ってきたタクシーに再び乗り込み大阪まで向かう市橋。
しかしこのフェリー会社の職員はある違和感を覚えていた。
沖縄に行く人は、ほとんどが大きな荷物を持っている。
しかし、先ほどの男はほぼ手ぶら...この職員も連日のニュースでピンと来た。
そして、大阪のフェリーターミナルへ連絡した。
午後3時、市橋は大阪のフェリーターミナルに到着。
なぜか手には白い手袋をしていた。
この日の沖縄行きの出航は夜10時。
まだ出発まで7時間もあるが、市橋は2階の待合室から一歩も動かなかった。
フェリー会社の職員は、市橋だと確信し警察へ通報。
辺りはすでに暗くなり、沖縄行きの客が集まり始めた時だった。
制服警官の姿が市橋の目の前に...運命の時がついにやって来た。
11月10日午後8時17分。
市橋は逮捕された。
2年7か月に及ぶ逃走劇は終わった。
その後の裁判で市橋には無期懲役の判決が下された。
市橋逮捕となったのは、多くの一般の人からの通報があったから。
現在も指名手配となり、逃げている容疑者はたくさんいる。
目撃情報を警察は待っている。