父のしつけ...地獄を味わった家族の真実
2年前、北海道函館市七飯町の山中で
7歳の少年が行方不明になる事件があった。
両親は、息子が生きていることを望み続けたが、
その一方で、日本中が、両親が息子を殺したという疑いの目を向け続けた。
地獄の7日間を過ごした家族の真実とは。
しつけのつもりが...行方不明に
2016年5月、ある公園で家族が遊んでいた。
両親と小学5年生の姉と小学2年生、大和くんの4人家族。
広場で石を投げて遊んでいる息子に危ないからと注意する母。
しかしやんちゃ盛りの息子は言う事を聞かなかった。
そんな様子を見て父は悩んでいた。
仕事で毎晩帰るのが遅い父。子どものしつけは母親に任せっぱなしだが...。
やっぱり自分がしっかりしつけをしないといけないと思っていた。
そこで、帰り道の車の中で、父も石を投げ続けた事を注意した。
しかし、息子は「危なくなかったから...」などと言い訳をして、反省している様子がない。
父親の言うことまで聞かなくなると、このままでは駄目な子になる。
そう考えた父は息子に反省させようと...林道で、息子を車から降ろした。
そのまま車を発進させた父。
追いかけてきた息子を車に乗せた。
しかし、まだ反省していないと感じた父は
将来、人に迷惑をかける人間にだけはなって欲しくないという思いから、
再び大和くんを車から降ろし、発進させた。
そして300メートルほど走らせた後、車を止めた父。
そして、男同士で息子としっかり話をしようと
大和くんを降ろした場所へ1人で歩いて向かった。
ところが...息子の姿はどこにもなかった。
いたずら好きだったこともあり、ちょっと隠れている。そう思っていたが...
いくら声をかけても一向に出てこない。
家族3人で30分以上探しても大和くんの姿はどこにもない。忽然と消えていた。
一体、大和くんに何があったのか?
最初の嘘が事態を悪化させる
ここは北海道。真っ暗になったら...命に関わる。
父は捜索を要請するため、警察に通報した。
父は自分のしつけが理由で捜索してもらうのは申し訳ないと思い、つい...
父「山菜採りをしていたら...息子がはぐれてしまいまして...いくら探しても見つからないんです。」
事実と異なるこの説明が後に大きな波紋と疑惑を招くことになる。
直ちに道警、消防などが100人態勢で捜索にあたった。
この一帯は山深く、まれにヒグマも出没する地域。
夜になると気温は8.7度まで下がった。
大切な息子をこんな目に遭わせてしまった...後悔と不安。何とか無事でいて欲しい。
しかし行方は全く分からず...午後11時、捜索が打ち切られた。
30km程離れた函館中央警察署で家族の事情聴取が別々に行われた。
ここで父は、山菜採りではなく、しつけのため息子を車から降ろした事を警察に伝えた。
なぜ嘘を付いたのか?警察も追及をゆるめる訳にはいかなくなった。
両親とも一睡もすることを許されず事情聴取は朝まで続けられた。
大和くんが行方不明になった翌日、早朝から広範囲にわたって捜索が行われた。
3人も一睡もせず捜索に加わった。
当初、報道も山菜採りをしていてはぐれたと伝えていたが、
函館中央署が、父親が事実と違う通報をしていたことを公表すると
世間の目はそこに集中していく。
3週間前には大好きな日本ハムファイターズの中田翔選手のサインをもらい喜んでいた。
そんな元気いっぱいだった大和くんが見つからない...それもあのしつけのせいで。
3人は大和くん発見の時に備え、自宅には戻らず、現場近くのホテルで待機することにした。
5月末とは言え、北海道の夜の冷え込みは厳しい。
Tシャツ一枚でたった一人、真っ暗な森の中で...なんとか無事でいて欲しい。
家族を追い込む世間の声
行方不明になってから3日目。
この日から家族は捜索に参加することを止められた。
実は現場には多くの報道陣がいて、混乱がおきる可能性があったのだ。
この日、メディアはトップニュースで扱った。
「両親が虚偽の通報」疑惑の目が両親に向けられ始めた。
一方で懸命の捜索は続いていた。
この日も130人態勢で...大和くんが行方不明になった地点から半径5kmを
重点的に捜索していた。
大規模な捜索を開始して3日...未だ手がかり一つ見つからないのはなぜなのか?
自宅には報道陣が押しかけているためこの日から3人は親戚の家で連絡を待つよう
警察に言われた。
結局、この日も何の手がかりも見つからないまま、捜索は打ち切られた。
息子が心配でならない両親が日本中に疑われているという現実。
ネット上では根も葉もない書き込みが増えていった。
そんな中、10歳になる大和くんの姉は最後に見た弟の姿を懸命に思い出そうとしていた。
見えなくなる瞬間、上っていく道の方に体を向けていたような気がする。
もしかしたら...間違ってあの道を進んでいったのでは?
両親はすぐにこのことを捜索本部に伝えた。
大和くんがいなくなった現場は三叉路。捜索は大和くんが車を追いかけたと想定し、
主に三叉路の南を捜索していた。
もう一つの林道は北に延びる。その方面は空からの捜索しか行っていなかった。
翌朝、捜索4日目。
両親の要請を受け、重点捜索範囲を行方不明地点から北側の駒ヶ岳方面に切り変えた。
息子とこんなに簡単に離ればなれになるわけがない...今日こそはいい連絡が来て欲しい。
大和くんの行方が分からなくなったのは28日の夕方。
あと半日で不明者の生存率が大幅に低くなるとされる72時間が迫る。
自分のしつけのせいでこんな事に...生きていてくれ...父はとにかく願った。
しかし、午後になると冷たい雨が降り、この日の捜索は予定より3時間早く
午後4時に打ち切られた。
大規模捜索も打ち切られ...自分を責める両親
そして生死を分ける運命の72時間が経過。
生きていて欲しい...父も母も自分を責め続けるしかなかった。
そんな両親の気持ちとは裏腹に、情報番組では事件について様々なコメントが。
「これは虐待」、「アメリカだと確実に逮捕」、「発見されても親元には帰すべきではない」
ネットでも父親を誹謗中傷する書き込みが続いた。
「これ本当は父親が殺したのでは」、「実は虐待死で山に遺棄」
息子を殺したと日本中に思われているなんて...父親の苦しみは続いた。
捜索5日目。陸上自衛隊も加わり、最大規模の200人態勢となった。
捜索6日目にはローラー作戦を展開したが、何の痕跡も見つからなかった。
そして遂に大規模捜索は打ち切られた。
大和くんは山の中で迷い亡くなったのか...いや、あの両親がやったに違いない...
世間の大方がそのような見方をしていた。
追い詰められた両親は...自らの死も考えた。
大和くんが消えてから、母は何も口にすることなく、父は一睡もすることなく、
7日目の朝を迎えた。
絶望の中...奇跡の生存確認
そして大規模捜索が打ち切られた翌日、ついに奇跡が...。なんと大和くんが見つかった!
大和くんが発見されたのは行方不明になった現場から直線距離で7km離れた
自衛隊の駒ヶ岳演習場の小屋の中だった。
そこは6日間に渡って行われた捜索範囲からは外れていた。
発見されたのはまさに偶然だった。
発見した自衛隊員によると、演習場に向かっていた途中に雨が降ってきたため、
近くにあった小屋に入ると...大和くんが目の前にいたのだという。
直ちに大和くんはドクターヘリで函館市内の市立病院へ。
そして、大和くんの7日間の驚くべき行動が明らかになった。
車が見えなくなった瞬間、泣き出した大和くん。
涙をぬぐっている間に方向感覚が狂い、車が去ったのとは違う道に進んでしまった。
この行動は姉が言った通りだった。
真っ暗な林道を10km走り...その日のうちにあの小屋に辿りついた。
大和くんは小屋の前にある水道の水を飲み、マットレスに挟まって寒さをしのぎ、
7日間を過ごしていた。
大和くんが無事保護されたことは海外メディアも相次いで速報。
それにしてもなぜ、大和くんは7日間も寒さや空腹に耐えながら小屋の中にいたのか?
大和くんによると、ここで待っていたら必ずお父さんかお母さんが迎えにきてくれると
信じていたからだという。
大和くんの奇跡の生還。
日本中が沸いたニュースの裏には知られざる家族の絆があった。