放送内容

2018年10月 9日 ON AIR

死者8人...住宅地でまかれた猛毒ガスの真実

千葉県、南房総市。
ある事件により、26歳の若さで亡くなった伊藤友視さんが眠る墓地がある。


墓石に刻まれているのは...
「オウム真理教の犯行に因るサリン事件と判明す。」という言葉。


地下鉄サリン事件のことではない。もう一つのサリン事件...その真実とは。


地下鉄サリン事件の9か月前...長野県松本市。
夜10時頃、製薬会社に勤務する伊藤友視さんは家で彼女と電話で他愛もない会話をしていた。


その時、ベランダの窓は開いていたという。
しばらくすると、急に気持ちが悪くなった。
後でかけ直すと伝え電話を切った。これが友視さんの最後の言葉となった。


彼の命を奪ったのが...サリン。
大量殺戮を目的に開発された恐怖の化学兵器。
それが、閑静な住宅街にまき散らされた。


死者8人。負傷者600人以上を出した大惨事...松本サリン事件。
9か月後起きた、地下鉄サリン事件によりその詳細を知らない人も多い。


首謀者は...麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚。
実行犯は死刑を執行された4名を含むオウム真理教元信者7名。
日本で初めて起きた毒ガスサリンによる無差別テロ。


なぜ麻原は、松本の住宅街にサリンをまいたのか。
そしてなぜ、一般の人々8人の命を奪ったのか?


オウムが松本を狙った理由とは


この日、麻原は側近を集めた。
集まったのは村井秀夫、新実智光、遠藤誠一、中川智正の4名。
彼らが話していたのは、松本の裁判所にサリンをまくという計画。


麻原の指示により、警護班として武道の経験がある2人の信者と、
運転手として端本悟元死刑囚が加わることになった。
この3人はサリンの存在すら知らなかったという。


さらに、村井はサリンを撒き散らすための車の改造を命じた。
サリン噴霧装置は、ヒーターに銅板を乗せ加熱。
そこにサリンを垂らし気化させ、ファンによって排出させる仕組みだった。


20181009_13_02.png


5日後、サリンを噴霧するための改造車が完成。
同じ日、新実は端本を連れて長野地裁松本支部の下見に行った。
この時、端本は初めてサリンを使うことを知った。


松本の裁判所を狙った理由、それはこの事件の3年前にあった。


松本市で、弁護士をしている山内道生のもとに1本の電話が。
それは後輩の弁護士からだった。


後輩の弁護士はオウム真理教について山内に相談があるという。
山内は"ある事件"でオウム真理教を忘れたことがなかった。


その事件とは、坂本弁護士一家失踪事件(当時)。
教団の反社会性を追及していた坂本弁護士とその家族が、突如姿を消した事件。
山内は坂本弁護士と面識があったため、事件の動向に注目していたのだ。


その後輩の相談とは、知り合いがオウムに土地を売ってしまったので、
どうにかその土地を取り返せないかという内容だった。


後日、相談に来たのは、松本で不動産会社を経営する男性。
話を聞くと、東京の食品会社が松本に豆腐や納豆を作る工場を建てたいということで
土地を探しているという話があったという。


ちょうどいい土地があったため、地主にこの話を伝え、食品会社と契約。
しかし、その食品会社の正体こそオウムだった!松本市に支部を作る計画だったという。


麻原は1987年から教団の勢力拡大のため全国に支部道場を建設しようとしており、
松本市もその一つだった。


オウムから土地を取り戻したいと相談を受けた山内弁護士は、
地元住民とともに、オウム道場の建設反対運動を開始。
結果的に土地の半分、賃貸契約部分のみを取り返すことができた。


オウム側は手に入れた半分の土地に、規模を縮小して松本支部道場を建設。
その後も山内は、道場ができた土地も取り返すべく裁判を続けた。


14万7000名の署名を集めた山内弁護士。
判決によっては撤退を余儀なくされるオウム側...麻原は裁判官に狙いを定め、
このサリン計画を企てたのだ。


計画の遅れが人々の運命を変える


そして松本市のオウム道場、土地の明け渡しを求める裁判が大詰めを迎える頃、
教団では、およそ30kgものサリンが生成されていた。


オウムは他の地域でも松本と同様のやり方で土地を購入し、その地域ともめていた。
もし松本で負ければ、全国で同じことが起こってしまう。


絶対に負けられない...それはいつからか、裁判ができなくなればいいという発想になり、
その結果、サリンをまくという馬鹿げた指示に変わっていった。


こうして、ついに実行の日。
しかし、出発する時間になってもこの計画のリーダーである村井が現れない。
予定時間の2時間後にようやく現れた村井。明らかな寝坊だった。
この行動により、多くの人の運命が変わっていく。


実行犯たちは高速道路を使えば足がつくと考え、一般道を走った。
村井の遅刻により松本市に到着したのは夜だった。
裁判所はとっくに閉まっている。


しかし麻原からの指示なので簡単に引き返せない。
裁判官は官舎に住んでいる...そこを狙おうという話になった。


20181009_13_03.png


行き当たりばったりな計画変更。
村井が麻原と連絡を取り合うと、官舎でもいいという指示が出たという。
官舎は、裁判所からおよそ400mの場所。


そして、官舎からわずか50mの場所に河野義行さんの家族が住んでいた。
河野さんは妻の澄子さん、そして3人の子どもたちと幸せに暮らしていた。


実はこのあと河野さんは、毒ガス事件犯人の疑いをかけられてしまう。
そして、その河野さん宅の隣のマンションに伊藤友視さんが住んでいた。


午後10時、官舎近くのスーパーマーケット駐車場。
村井は官舎付近で噴霧できそうな場所を探していた。


そして、ちょうどいい場所を発見。
そこは、河野さん宅の隣にある駐車場だった。


午後10時30分、噴霧車とワゴン車が駐車場に到着。
この時、官舎の方へ弱い風が吹いていた。


本来、気化したサリンは無色透明だが、不純物の多いサリンからは白い煙が立ち込めた。
風向きがかわり、毒ガスは河野さん宅の隣のマンションへも流れていった。
そして、彼女と電話をしていた伊藤さんもこのガスを吸ってしまったのだ。


原因も分からないまま、多くの人が犠牲に


午前0時過ぎ。
警察、消防がかけつけ、閑静な住宅街は騒然となった。
頭痛や吐き気、目の前が暗くなった、などの症状を訴え次々と病院へ搬送されていく。


河野さんの妻、澄子さんは心肺停止の状態だった。
河野さんと長女も重症。
長男と二女は、離れにいたため、被害を免れた。


消防署員が近隣住宅の安否確認を開始。
午前0時15分ごろ、伊藤友視さんがキッチンで死亡している所を発見された。


20181009_13_04.png


伊藤さんが住んでいたマンションからは信州大学の学生、男女2名が、
向かいの会社寮から45歳の男性が、
隣のマンションから35歳女性と53歳の男性が亡くなって、発見された。


そして、意識不明の重体で病院へ担ぎ込まれた小林豊さんも、
病院で救命措置が取られたが、4時20分に死亡した。
小林さんは東京の電機メーカーに勤め、6月に松本に赴任したばかりだった。


そして教団の本来の計画だった裁判官官舎からは死者は出なかった。
この夜、近隣にある6つの救急病院で56人もの患者が運び込まれた。


患者に共通していたのが...縮瞳。
瞳が異常に収縮していた。


これを診た医師は、有機リン中毒を疑った。
有機リン中毒は、主に殺虫目的の農薬を飲んだり吸い込んだりしたときに起こる。
農業が盛んな長野県の医師はこうした症状を見たことがあった。
実はサリンは、農薬開発の過程で生まれた猛毒だったため、この治療は適切だった。


翌日、河野さん宅敷地内の池からザリガニや魚の死骸が発見された。
その夜...被疑者不詳の殺人容疑で河野さん宅を家宅捜索。
家庭菜園で使っていた農薬など薬品20種を押収。
これらの偶然から河野さんに疑いの目が向けられてしまった。


翌日の新聞には...「会社員宅を家宅捜索 ガス発生源と断定」
「住宅街の庭で薬物実験!?」...などという、まるで犯人かのような見出しが並んだ。


多くの被害者の人生を奪った悲劇


一方で教団はこれをきっかけに第7サティアンでサリンの大量生産を本格的に開始。
サリンという言葉自体ほとんど知られていなかった当時、捜査は混迷を極めた。


そんな中、事件の翌日に有毒ガスの正体を突き止めた研究所があった!
それは、長野県衛生公害研究所(当時)。
原因が環境公害汚染による可能性はないかと、行政からの指示を受けて調査にあたっていた。


20181009_13_05.png


大気や水質調査のスペシャリストである彼らはまず、ガス発生現場とされる
池から採取した水を測定器にかけた。


そこで特徴的な成分が検出され、データベースからそれがなんなのか調べた結果、
サリンと一致したのだ。


この発見によって、警察は事件から6日後。
サリンが原因物質と特定されたが...それでも河野さんの疑惑が晴れることはなかった。


そして翌年の元日。
上九一色村にサリン残留物と読売新聞がスクープ!
これにより松本サリン事件は、オウムの犯行と言う疑いが強まり、
河野さんへの疑いはようやく晴れていく。


一方で、オウムへの捜査は長野と山梨で警察の管轄が違うこともあり思うように進まず、
そして、1995年3月20日...事件は起きてしまった。
地下鉄サリン事件。死者13人、負傷者5800人以上。


それは、オウムへの強制捜査を遅らせるため警視庁・警察庁などがある
霞ヶ関に向かう電車を狙った非常に短絡的な犯行だった。


松本サリン事件で命を落とした伊藤友視さん。
彼の母は、最愛の息子を失い「自分の一生はオウムで終わった」と語っている。


河野さんの妻、澄子さんもその後、闘病の末に亡くなった。
このような悲劇が2度と起きてはならない。

バックナンバー一覧