仰天に出たくて頑張った少年のストーリー
今年5月、仰天ニュースに一通のメールが送られてきた。
それは13歳の息子に起きた仰天事件を母親が投稿したもの。
そこには「仰天ニュースに取り上げられるぐらい頑張っていると話していました」とあった。
投稿者の息子の伯光くん。彼はある病気と闘っていた。
最愛の息子を突如襲った病魔とは
北海道函館市。
歯科技工士である父と看護師である母・由希子さんの長男として生まれた伯光くん。
2人の姉と2つ下の弟の4人兄弟。そんな彼に異変が起きたのは9歳の時だった。
数週間前から膝に謎の痛みを感じた。
しかしその痛みは持続せず、しばらくすると痛みは消える。
そのため、看護師である母・由希子さんも成長期に起こる成長痛だと思っていた。
そんなある日、伯光くんのひざの痛みが突然激しくなった。
病院へ行きレントゲンを撮ると衝撃の事実が。
右太ももの骨に悪性腫瘍が見つかったのだ。骨肉腫...つまり骨の「ガン」である。
看護師である母・由希子さんは、その病気がどれほど恐ろしいものか知っていた。
骨肉腫とは、発症する数が少ない「希少ガン」の一種。
半数が成長期の子どもの膝周囲に発生し、進行は早い。
患部の切除と抗ガン剤を用いた化学療法を行うことで生存率が上がるが
肺に転移するケースが多く、その場合、予後は悪い。
まさか9歳の息子が...看護師である自分がなぜ気付けなかったのか...
由希子さんの目には涙が溢れてきた。
翌日、列車で4時間かけ、骨肉腫を治療できる専門の病院がある札幌へ。
検査の結果、肺の転移が見つかった。
骨肉腫の早期発見は非常に難しく、激痛を感じる頃にはかなり進行している。
伯光くんも股関節から膝上まで広範囲に進行し、肺には3か所の転移が見られた。
右大腿骨と肺の腫瘍を取り除く手術のため、抗ガン剤で腫瘍の成長を止める必要がある。
小さい子どもには辛い治療...その抗ガン剤治療は 想像を絶するものだった。
抗ガン剤治療の苦しみと必死に闘う
伯光くんはみるみる食欲がなくなり、何も食べられなくなった。
さらに、消灯になるたびに暗闇を怖がった。
そんな息子のために由希子さんは仕事を辞め、札幌の病院に泊まり込んだ。
抗ガン剤治療開始からおよそ2週間、体がだいぶ慣れてきた頃...髪の毛が抜けてきた。
見た目も変わり、抗ガン剤治療で苦しんでいるにもかかわらず、
伯光くんは母親と離れて住む、まだ小さな弟のことをずっと心配していたという。
およそ3か月半、抗ガン剤治療をした後...2回にわたり、腫瘍を取り除く手術が行われた。
肺の腫瘍は胸腔鏡により取り除かれ、
右太ももは、海外から取り寄せた人工の大腿骨を入れる、患肢温存術が取られた。
これは、成長に合わせ、体内に入れたまま伸ばすことができる。
手術は成功、伯光くんの体からガン細胞は取り除かれたが...
再発を防ぐための抗ガン剤治療を続けながら、リハビリが始まった。
休むことなくリハビリをがんばる伯光くん。
やがて、1本の杖さえあれば歩けるまでに回復すると、
母・由希子さんに病院のそばにあるゲームセンターに連れて行ってもらった。
伯光くんは健康な自分を取り戻せた気になれた。
太鼓を叩くゲームに夢中になり、みるみる腕を上げた。
そして手術からおよそ1年。函館に帰ることが出来た。
すると家にはドラムセットが置いてあった。
おばあちゃんが、太鼓のゲームが大好きだった伯光くんの退院祝いに買ってくれたのだ。
学校に戻れば5年生。夏休み明けからの復学が決定した。
仰天ニュースの出演が彼の夢に
そんな夏休み中の7月30日、伯光くんはもともと大好きでよく見ていたという
仰天ニュースを隣のおばあちゃんの家で見ていた。
この放送が少年に大きな影響を与えることとなる。
それは17歳で余命宣告を受けた高校生、コナー・オルソン君の映像だった。
コナー君は17歳で骨肉腫を発症。
足の切断、そして再発。懸命な治療の甲斐もなく亡くなった。
入院中、インターネットなどを見させていなかった伯光くんにとって、
骨肉腫の情報は初めて知ることばかりだった。
息子の様子がおかしい...母はすぐに番組内容を確認した。
伯光くんは骨肉腫が再発すると死につながることがある病気だと知ってしまったのだ。
恐らくショックを受けている...母・由希子さんがしばらく声をかけられずにいると、
伯光くんが口を開いた。
伯光くん「お母さん、僕って仰天ニュースに出るほどすごい病気と闘っているんだね!」
自分は珍しい病気と闘う戦士、
その雄姿は番組で取り上げられるほどのものだと目を輝かせていた。
そしていつか仰天ニュースに出たいという夢を母親に語ったのだ。
ガンが首に転移...ついに余命宣告が
夏休みが明けると伯光くんは復学し、すんなり友達の輪に溶け込んでいった。
しかし、退院して1年半...6年生になった伯光くんに再び異変が。
検査の結果、首への転移が見つかった。
しかも転移は第二頸椎で、腫瘍は脊髄にかなり近い場所にあったため手術は不可能だった。
医師によると、もってあと1年...ついに余命を宣告されてしまった。
定期的な検査をしていても、骨肉腫は発見することが難しく進行が早い。
ましてや頸椎への転移はかなり珍しく、生命維持に重要な延髄の周りを囲む腫瘍を
手術で切り取ることはできない。
抗ガン剤と放射線で、ガンの進行を抑えるしか治療法はなかった。
こんなに頑張っていたのになんでこんな目に...ショックを受ける伯光くん。
看護師である母の由希子さんも、なぜ息子の異変に気付けなかったのかと後悔した。
その日から、再び抗ガン剤と放射線治療が始まったが、
それはガンを消滅させるものではなく、進行を少し遅らせるものに過ぎなかった。
そして...入院する事で行える治療は終了し、医師からは通院での治療を勧められた。
こうして本来ならば中学に進学していた5月。
伯光くんは3か月の入院を経て自宅へ帰った。
晴れの舞台でドラムを披露
抗ガン剤の薬を飲みながら中学に通えること願っていると、嬉しい出来事が。
2か月遅れでの中学校の進学と、憧れの吹奏楽部への入部が許可されたのだ。
母親の付き添いが条件。担当はドラム。
ゲームセンターで鍛えた伯光くんの腕前は、部員を驚かせた。
充実した毎日...伯光くんは日に日に回復しているように見えた。
他の部員の足を引っ張らないよう必死に練習をし、ドラムの腕をどんどん上げていった。
そして伯光くんのドラムを披露する秋の文化祭がやってきた。
その前日の夜のこと。
伯光くんは母に絶対見に来てほしいと伝え、もう一言加えた。
伯光くん「あとさ、僕、お母さんのこと全然恨んでないよ。看護師だからって気にしないでね」
母がずっと気にしていたことを知っていたのだ。
そして迎えた本番。
病気を感じさせないほど元気にドラムを叩く伯光くん。
その姿に母は、涙が止まらなかった。
短くも前向きに生きた13年の人生
さらにこの文化祭で、吹奏楽部を引退する3年生に贈るビデオにも出演。
その直後のことだった。
伯光くんの右手のしびれが止まらなくなった。
脊髄の周りを取り囲むように進行した腫瘍。
ついに右手の神経を圧迫するまでになり、再び入院が決まった。
しかし、もう骨肉腫の進行を止める手立てはなかった。再び自宅での治療に。
その後、脊髄を圧迫する腫瘍は全身の神経を麻痺させはじめ、ついに全身が動かなくなった。
意識ははっきりしているのに、何も動かせない...それは生き地獄だった。
やがて腫瘍は、意識も奪い始めた。
わずか9歳で骨肉腫が見つかり辛い治療に耐え...転移を繰り返しながらも
仰天ニュースに取り上げられるくらい頑張ると誓い生きてきた伯光くんだったが、
家族との別れの日が近づいていた。
そして中学2年生になった2017年4月2日。
13歳の伯光くんは母・由希子さんに抱き締められながら静かに旅立った。
そして現在...伯光くんが亡くなってから1年半。
母・由希子さんは、がんの子どもを守る会で小児ガンの周知活動に参加している。
病と闘い抜いた伯光くんのことを仰天ニュースは忘れない。