まさか...海の上で?衝撃出産の真実
2001年1月、佐賀県。
お年玉をかき集めている1人の少女がいた。
それを握りしめ、向かった先は...産婦人科。
なんと付き合っていた恋人の子を身ごもったのだ。
さらに...すでに妊娠6か月。
しかも、彼女はまだ中学3年生の15歳だった。
彼女は、母親と2人の弟の4人家族。幼い頃に両親は離婚。
母は女手ひとつで3人の子どもを育てていた。
産婦人科の医師には「親と相談して」と言われたが、言い出せなかった。
とりあえず彼氏には伝えたが...彼も中学3年生。
どうしたら良いかなんて見当もつかないままだった。
その後、産婦人科に行く事もなく、時間だけが過ぎて行った。
不思議とつわりは無かったがどんどんお腹は出てくる。
当時、普段着はいつもジャージ。
これさえ着ていれば、体形なんてわからない。
まだ15歳。妊婦として気をつけなくてはいけない事なんて分からず、
流行りの厚底サンダルを履き、移動手段は自転車!
出てきたお腹は、ヘアバンドを無理やり巻いてごまかした。
自宅にいる時はほとんど自分の部屋で過ごしていた少女。
そんな生活を送るうちにあっという間に時間は過ぎ...誰にもバレないまま中学校を卒業。
4月からは通信制の高校に通うことになっていた。
この頃すでに妊娠9か月目に入っていたが、骨盤が一般的な女性より広いと
縦にも横にもスペースがあり赤ちゃんが大きくなってもお腹が前に出ない人もいる。
だからもうすぐ生まれるなんて実感も知識もないまま...ついに臨月へ。
そんな時、母の姪っ子の結婚式に招待され、家族で結婚式の行われる長野へ行くことになった。
臨月に入ると万が一に備え妊婦さんは遠出を控えなくてはいけないのだが・・
少女のこの行動が大変な騒動を巻き起こす!
フェリーの中でもはしゃぐ若い妊婦
無事結婚式が終わり、長野からの帰りは親戚一同、マイクロバスを貸切り移動。
神戸からはフェリーで九州へ。
神戸を夕方に発ち、北九州に朝到着する阪九フェリーに乗船した。
宿泊は大部屋。親戚みんなで雑魚寝することになった。
常に人の目に触れるのは嫌だったが...そこはまだ15歳、初めてのフェリーに、
テンションはMAX!!
カラオケで盛り上がり、お腹の赤ちゃんそっちのけでジャンプしてしまう。
だが、ついにその時が訪れる。
それは真夜中の3時。胃がムカムカする感覚に襲われ目が覚めた。
更にお腹も痛くなり...トイレへ。
だが太ももに違和感を覚えたその時、なんと破水!!
まだ若い少女はこれが何なのかわからなかった。
そして経験した事のない激痛に襲われ、もう限界だった。
痛みをこらえて向かった先は...母親のもと。
実は母親、娘の異変には薄々気が付いていた。
だが、思春期の娘...下手に話して、喧嘩になって家出とかされたら大変だと
機会を伺っていたのだ。
母はみんなを起こさないように甲板へ。
まさか、ここで生まれてしまうのか?
フェリー内で陣痛!!そして出産へ
母も1人ではどうするとこもできず、親戚の女性に相談。
その女性が近くの非常用電話から乗組員に連絡をした。
この時、連絡を受けたのは乗組員の北島さん。
乗客の中に医者がいないかと緊急アナウンスを流した。
アナウンスを終えるとすぐに妊婦の少女のもとへ向かい、カラオケルームへ移動した。
万が一の事態に備え、ビニールシートを床にひき、
さらに外から見えないよう、ドアのガラス窓もシーツを張り付け目隠しをした。
到着まではあと3時間。
すると...看護師さんが1人駆けつけてくれた。だが産科は専門外...
さらに数分後、駆けつけてくれたのは男性医師。さらにその奥さんも看護師。
だが専門は外科。産科は専門外だという。
医師が診ると子宮口が開いており、出産は秒読み段階。
専門外だがここは自分達がやるしかない。医師は覚悟を決めた。
分娩は男性医師を中心にそれを2人の看護師がサポート。
急いで当直室にあるハサミを数本集め、お湯を沸かし、消毒。
そして...午前4時4分。
大きな産声を上げながら元気な男の子が生まれた。
厨房にあった秤を持ってきて体重を測ると...3025gだった。
妊婦さんとしては随分と無茶な生活を送ってきたが、お腹の赤ちゃんは至って元気!
そしてへその緒は消毒した文房具のハサミで切り、親戚が持っていた裁縫道具でへその緒を結んだ。
一方部屋では、出産の知らせを聞いて親戚たちがどんちゃん騒ぎ!
船はスピードを上げ、30分早く北九州に到着。
フェリーを降りようとすると...他の乗客たちが15歳の新米ママを皆で祝福してくれた!
こうして船の中で生まれた赤ちゃん。
出生届にある産まれた場所の欄にも「航行中フェリー」の文字が。
15歳の出産は色々な意味で皆の記憶に残るものとなった。