放送内容

2019年1月 8日 ON AIR

元マラソン女王 万引癖の真実

2018年2月。午後8時45分。
群馬県太田市のスーパーで、菓子3点、合計382円を万引きしたとして、
1人の女性が捕まった。


原裕美子さん。
世界陸上2回出場など輝かしい功績を残してきた元女子マラソン日本代表選手。
逮捕時、彼女の財布には現金およそ2万円とクレジットカードが入っていた。


一体なぜ、彼女は数百円のお菓子を盗んだのか?


体重制限のため、食べたものを吐く毎日


幼い頃から走ることが大好きで足が速かった裕美子。
高校卒業後、実績のある実業団に入団した。
そこで待っていたのは...徹底した体重管理。長距離選手は痩せていた方が有利だと言われた。


元々太りやすい体質だった彼女は...特に厳しく指導されたという。
食べることが大好きだった彼女にとってそれは大きなストレスだった。


しかし激しい練習の後は、特に甘いものが食べたくなる。
ある日、つい欲求に負け、お菓子を買ってしまった。
1つだけ・・と思って食べたが、気が付けば一袋食べてしまっていた。


体重が増えたら怒られる...彼女は朝までバイクをこいだ。
食べたら後悔する...でも、欲求に勝てない...


そんな生活が続いたある日。
食べた分を汗で消費しようと風呂に入っていたとき、突然気持ちが悪くなり吐いた。
そのとき、あることが思い浮かんだ...食べても吐けば太らないのではないか?


体重を量ってみると...吐いた分が減っていた。こうすれば食べられる!
こうして裕美子は、夜な夜な好きなものを好きなだけ食べて、全て吐くことで
体重をコントロールするようになった。


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すると体重制限のストレスがなくなり練習に前向きになり、記録も伸びていった。
2005年、初めての挑戦となったフルマラソンでいきなり優勝!
その年の世界陸上では日本人最高位となる6位入賞と、一気に脚光をあびる。


2008年の北京オリンピックでメダルを期待される選手になった。
しかしその裏で、食べては吐くがひどくなっていった。


衝動が抑えられず...初めて万引き


食べていると心が楽になる。
常に食べ物に囲まれていないと不安になる。
彼女は摂食障害に陥っていた。


そんな頃、北京オリンピックを見据え中国遠征へ。
そこで...買い食いを禁止するためコーチから財布を没収された。
それ程までに体重管理は厳しかったのだ。


その夜...彼女はどうしても食べたい衝動にかられ眠れなくなった。
我慢出来ず、わずかにあったお金を持ちホテル近くの店へ。
しかし、たくさん食べたい...どうしても食べたい...


その衝動から、つい店の商品を盗ってしまった。
すぐに店員に見つかり、裕美子は商品を返した。
この時は大事にはならなかったが、
裕美子はなんでこんなことをしてしまったのか、自分でもわからなかった。


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その後しばらくして日本で、
スーパーの外で、裕美子が購入した大量の食品が置き引きされた。


うっかり放置していた、自分のミス。
このとき、買い直せるぐらいのお金はあった。
しかし、せっかく買ったのに、ひどすぎる...と怒りがこみ上げてきた。


そして...また万引きしてしまった。


実は摂食障害患者の問題行動の一つに万引きがある。
摂食障害患者を多く見てきた医師の調査によると万引きの経験があるという摂食障害患者は少なくないのだという。


長期間、摂食障害を患うと食べ物などが減ることに対して、
異常な恐怖を感じるといった病的な心理に陥ることがある。


さらに、栄養不足で脳が委縮することで認知機能が低下する。
そのため、目の前の食べ物に対する制御が効かなくなると考えられている。


翌日、罪悪感と後悔が彼女を襲った。
しかし、スーパーに行くと、またも盗りたいという衝動が。


見つかれば、過去の栄光は崩れ落ちる。
わかっていたが...盗ってしまった。


やめたくてもやめられない窃盗症の恐怖


彼女は、窃盗症を発症していた。
窃盗症とは、利益追求、経済的動機ではなく、物を盗もうとする衝動に抵抗できず
犯行を繰り返してしまう症状で女性に多いとも言われている。


万引きをするときの緊張感の高まりと万引後の緊張が解き放たれる際に得られる
満足感や解放感などが再犯の原因ともいわれている。


商品を見ると抗えない衝動。そんなとき...ファンに声をかけられた。


私が万引きをしているとこの子たちが知ったらガッカリする。
そう強く思い、この日以来、万引きの衝動は治まった。


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2013年、裕美子は摂食障害による栄養不足で怪我を繰り返し、現役を引退した。
そして、陸上関係者からの誘いで、東京にある市民ランナーのクラブチームを手伝うことになった。


すると、こんな話が...それは知り合いが設立する新会社ための出資。
競技人生で得た蓄えを切り崩し、裕美子はおよそ780万円をその男に貸した。
しかしその後...男と連絡がつかなくなっていった。


そして驚愕の事実が判明する。
それは、同じように出資をした陸上関係者からだった。
なんと、あの男が立ち上げたという会社は架空会社だったのだ。


男とは音信不通になった。信頼していた人から裏切られたショックは大きかった。
そのストレスから逃れるため、食べ吐きが激しくなった。
食べて、吐くと心が楽になる。


そんな時、スーパーでまた正常ではない考えが...窃盗症が再発してしまった。
心の隙間を埋めるように、食べて吐き、盗った。
そして...初めて捕まった。


捕まってようやく罪の重さを感じたが...万引きはやめられなかった。
再び捕まった彼女は30万円の罰金刑となり前科がついた。


その後東京を離れ、栃木県の実家へ戻ることに。
彼女は東京で信頼していた人に780万円を取られたと打ち明けた。


その後弁護士を雇い、お金を取り返すことができた。
これで真面目に生きようと心に決め、地元のスポーツ施設で事務の仕事につき
ゲストランナーとして様々な地域のマラソン大会に招かれるなど充実した毎日を送れるようになった。


傷ついた心...再び万引きに手を出す


そんな時、ひょんなことで知り合った女性から、ある男性を紹介された。
2人は何度か会った後、交際し婚約した。


そして2016年、結婚式を挙げた。
入籍は後日する予定で、2人はマンションを借りて新生活を始めた。


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ところがいざ婚姻届を出す段階になって、結婚相手の態度が急に変わり、
その後連絡が途絶えた。


マンションを引き払い、実家に戻った裕美子。
傷ついた心の穴は大きかった。
そしてまた食べ吐きが...そんな自分が嫌になった。


そして2017年7月30日。
合計およそ2700円の商品を万引きした。このとき財布には1万円以上が入っていた。
常習犯の裕美子は逮捕、起訴された。


メディアは元マラソン女王の転落を大きく報じた。
保釈された彼女は精神疾患が疑われ、精神科へ。そこで初めて窃盗症だと診断された。


彼女は入院して摂食障害と窃盗症、両方の治療を行った。
3か月後、ようやく退院が認められた。


次はない。二度と万引きはしない。
買い物は常に父か母と一緒に行った。もし盗りたい衝動が起きても誰かがいれば抑えられる。


そんな、ある日。
新聞に載った自分の記事を初めて見た。
それ以来...毎日、自分の記事が出ていないか気になり、またも食べ吐きが激しくなった。


そして、2018年2月9日。
DVDの返却のため財布だけ持って外出。すぐ帰るはずだった。


ちょうどこの時間はスーパーの特売の時間...裕美子はそこからの記憶がないという。
気が付いたらキャンディーがジャンパーに入っていた。


早く戻そうと思っていた時...店員に声をかけられた。
こうして再び捕まった裕美子。


絶対にやってはいけない。絶対にやらないと誓ったはずなのに。
彼女の判決は懲役1年、執行猶予4年というものだった。


最新医療「条件反射制御法」とは


彼女は今、ある最新治療を受けている。それは条件反射制御法と呼ばれるもの。
これを開発した下総精神医療センターの平井医師によると、
ヒトの行動は"動物的な脳"と"ヒト的な脳"の2つの脳が作っているという。


万引きの成功は動物的な脳にとって狩猟の成功、
つまり"生きることを支える行動の成功"と捉える。


普通はヒト的な脳が、意識的に"倫理観"や"罰を避ける思考"を持ち、
万引き行動を抑える。


しかし、過去に過酷なストレスを受けた人は、動物的な脳が過剰に働きやすく、
一部の人に狩猟する動物の行動が、万引きとして生じるという。


その動物的な脳の過剰な働きを抑えるという治療が条件反射制御法。
まず患者は...「私は今、万引きはやらない。大丈夫。」
このような"言葉と動作"を繰り返し行う。


さらに病院内に作られた疑似商品を並べた疑似店舗で患者に疑似商品を万引きさせる。
そして疑似店舗から出たところで、万引きしたものを患者の目の前から病院スタッフが回収。
万引き、つまり動物的な脳での狩猟を失敗させる。
これを少なくとも200回は繰り返すという。


この治療を行っている原裕美子さん。
現在は、同じような精神疾患を持った人が集まる自助グループで生活をしている。


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同じ悩みを抱える人たちだからこそ、これまで1人で抱えてきた心の内を初めて人に明かすことができたという。


彼女は病と向き合い、前に歩み始めている。

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