放送内容

2019年1月 8日 ON AIR

神の子KID 最期まで闘ったファイターの真実

2018年9月18日。
格闘家・山本"KID"徳郁が亡くなった。


自分よりも大きな相手に、ひるむことなく挑む"神の子"。
やんちゃな見た目とは違い...彼は愛に溢れていた。


そんなKIDの体に異変が起きたのは2015年の冬だった。


KIDは妻に促され、病院へ。
精密検査を受けると、ガンが見つかった。


実はKIDは大切な人をガンで亡くしていた。
1977年、神奈川県川崎市で生まれた山本"KID"徳郁。
父は、ミュンヘンオリンピックレスリング日本代表の山本郁榮。


父の影響で、KIDは5歳からレスリングを始め、
姉の美憂、妹の聖子もレスリングにのめり込んだ。


やがて3兄弟は頭角を現わす。
姉の美憂は、全日本選手権4連覇!史上最年少の17歳で世界選手権も優勝。
妹の聖子も3階級で4度世界を制し、KIDも大学まで数々の大会で優勝した。


母・憲子は父と出会うまでレスリングに無関心だったが、
結婚後に、女性初の公認審判員の資格を取得。


さらに、健康運動指導士、鍼灸師の資格も取った。
全ては愛する家族のために。


そんな母が...血液のガンといわれる白血病で亡くなったのだ。
KIDが大学3年生の頃だった。


そして今度は自分がガンに...。
このときKIDは一般女性と結婚し、一児の父。まだ娘は1歳。
家族のためにも一刻も早く、病を克服してリングに戻りたいと思った。


格闘技界のスターとなったKIDの夢とは


病魔に襲われる14年前...KIDは24歳でプロの総合格闘技の世界に飛び込んだ。


当時日本ではK-1を始め、総合格闘技が大ブーム。
そんな中、小柄ながらも、その闘争心で連戦連勝を重ねるKIDは、
やがて「神の子」と呼ばれるようになる。


そして、2004年の大みそか。伝説となる試合が...
それはK-1のカリスマ魔裟斗との対戦だった。


魔裟斗はKIDよりもかなり大柄。
しかも、この対戦のルールは魔裟斗に合わせたK-1ルール。
誰もが無謀と思ったKIDの挑戦...しかし、その予想は覆される。


なんと、KIDが魔裟斗からダウンを奪ったのだ。
その後も...魔裟斗と互角の勝負を繰り広げるKID。


最終的に判定で負けたものの、紅白歌合戦の裏で瞬間最高視聴率は、驚異の31.6%。
この試合に日本中が魅了された。


こうして、格闘技界のスターとなったKID。
しかし、魔裟斗やKIDのように格闘技だけで食べていける選手などほとんどいなかった。


やがて、KIDに強い想いが湧き上がる。
多くの若い格闘家たちが、活躍できる場を自分が作ること。
それが、KIDの「夢」だった。


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そんな矢先...ガンを宣告されたのだ。
病気のことは、姉や妹にも伝えられた。


弟の病を知った姉、総合格闘技に挑戦


妹の聖子はダルビッシュ有と結婚し、アメリカ在住。
姉の美憂はカナダでレスリングのトレーニングに励んでいた。


大切な弟の、思いがけない病気。
悩んだあげく...姉の美憂はある決断をする。
それは総合格闘技に挑戦し、そのコーチをKIDに依頼するというものだった。


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愛する弟が、自分をコーチする。
きっと彼は必死に教えてくれるに違いない。
そうすれば病気になんて負けない力がもっと生まれるんじゃないか、と美憂は考えたのだ。


しかし、41歳で飛び込んだ総合格闘技の世界は甘くはなかった。
セコンドには、闘病中にも関わらず、いつもKIDの姿が...
しかし、美憂は最終ラウンドまで闘いきることすら出来なかった。


KO負けが続く日々。
KIDのコーチングにも、いっそう熱が入る。


病気が明らかになって1年半。
KIDに二女が誕生した。
彼はやんちゃな見た目とは裏腹に、とても子煩悩な父親だった。


このころ、愛する家族のため...そして、格闘技に情熱を燃やす若者たちのために
KIDは本格的に動き出した。


それは自分の夢である若い選手のための、格闘技大会の開催だった。
KIDはクラウドファンディングを運営する会社に資金集めの相談をした。
ファイトマネーを出してやりたい...それはアマチュアの大会では異例のことだった。


こうして2018年3月、大会を「クレイジーリーグ」と名づけ、世間に広く呼び掛けた。
選手達の為に出来るだけ早く...それがKIDの強い希望だった。


KIDの夢実現のためダルビッシュが全面支援


こうしてクレイジーリーグは2018年の6月に開催予定となった。
ところが...大会を1か月後に控えた、2018年5月。
ガンはKIDの体を容赦なく蝕んでいた。


KID本人と家族の意向であえて詳細な病状は言わないが、
この時すでに起き上がるのも難しい状況だったという。
そして、家族はKIDにこんな提案をした。


それはグアムで暮らすという提案。
人目を気にしなくていい、のんびりした南の島で、ストレスなく生活した方が良いのでは、と考えたのだ。


家族の提案を受け、KIDはグアム行きを決意した。
しかしすでにKIDは、飛行機にすら乗れる状態ではなかったという。


そんなときに動いたのが妹・聖子の夫、ダルビッシュ有だった。
ダルビッシュはKIDのために医療設備が整ったチャーター機を用意し、
さらにグアム生活のための家や車も準備した。


ダルビッシュは、KIDに気を使わせないために、
自分がサポートしたことは本人に言わなかったという。


こうしてキッドはグアムに向かい、父と姉・美憂も同行した。
すると、キッドはこんな状態でも筋力が落ちないようにと、メニューを考えてトレーニングをした。


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自分が主催するクレイジーリーグの舞台に立つためだったが、
病状は進んでいき、どんどん困難な状況になる。


やがて帰国ができない状態になったKID。
自身が大会に来られないなら資金集めをした条件と違うと判断し、
クラウドファンディングをやめ、集まった資金を返金した。


こうしてクレイジーリーグ開催を断念することになり、KIDの夢がついえてしまった。


KIDの夢だった若手のための格闘技大会、クレイジーリーグが開催できない。
そのことを妹の聖子が、夫のダルビッシュに話すと...KIDの夢をかなえるため、
ダルビッシュは全面支援することを決めた!


こうして、開催されたクレイジーリーグ。
若手選手にはファイトマネーが渡された。それはKIDが何よりこだわったことだった。
KIDはグアムからテレビ電話を使って試合を嬉しそうに見ていたという。


天国の弟のために戦った姉。そして現在


その格闘技リーグから1か月後...姉の美憂は試合を控えていた。
ここまで1勝3敗。次こそどうしても勝ちたいところだったが...


実はKIDの状態が良くなく、日本に行っている間に何かあるかもしれない。
だから今は愛する弟のそばにいたい。それが美憂の思いだった。


しかし...KIDはそれでも試合に出た方がいいと姉に伝えた。
その言葉を受け、2018年7月29日。
美憂は弟の元を離れ、日本のリングに上がった。


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結果は...美憂の判定勝ち
この日KIDは、SNSに喜びのコメントをアップした。


弟の生きる力になればと、美憂は次の試合を早めた。
その試合に向けてKIDも指導を続けた。


しかし試合まであと12日となっていた2018年9月18日。
神の子KIDは、息を引き取った。


驚異のファイターであり、良き指導者だった。
そして、家族を誰よりも愛するパパだった。


KIDの死から12日後...美憂の試合が始まった。
相手は一度、KO負けしている強敵だった。


しかし、この日の美憂は違った。
最終ラウンドまで闘い...美憂の判定勝ち。
亡き弟に捧げた勝利だった。


KIDの死から3か月半...家族が、思いを語った。


父・郁榮「お前は俺を乗り越えた。天国でまた、格闘技をやれよ。広めていけよ。と僕は言いたいです」


甥・アーセン「死にものぐるいで練習するから。安心していてね。俺はやる気だから。それだけ」


ダルビッシュ「ご家族のことは心配されていると思うので、自分たちがしっかりこれからも守っていきますから、心配しないでください、と言いたいです。」


姉・美憂「満点はなかなかもらえないと分かっているけど、ノリがそばにいてくれるのがすごく分かるから。頑張る。負けない」


山本"KID"徳郁は、人々の心に今も生き続ける。

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