花火大会で大爆発の悲劇
今年7月18日、36人もの命を奪った京都アニメーション放火殺人事件。
犯人の男がガソリンを撒き散らし、一気に爆発炎上した悲惨な事件だった。
その同じ京都で、わずか6年前...ガソリンによる悲惨な事故が起きていた。
福知山花火大会露店爆発事故。
この爆発事故で多くの人が被害に...。一体なぜ、悲劇は起きてしまったのか?
2013年8月15日。
携行缶を携え、ガソリンを買いに来た男がいた。彼はベビーカステラの露天商。
ガソリンは、この日行われる花火大会で開く露店の発電機を動かすためのものだった。
その頃、京都の花火会場から車で1時間ほどの京丹波町で、その花火大会に行くことになる1人の少年がいた。
当時10歳の山名空くんは野球が大好きなわんぱく少年。
そして、誰にでも優しくできる子だった。
両親は共働きなので、空くんは日中、祖父母の家にいることが多かった。
この日、家には祖父母と親しかった竹内弘美さんがいた。
祖父が花火大会があることを伝えると、空くんは「行きたい」と喜んだ。
こうして京都・福知山で行われる花火大会におじいちゃんと竹内さん、そして空くんと、その友達が行くことになった。
福知山と県境の兵庫県丹波市に住む、余田夫婦の息子、捺希くんは福知山に住む母の妹の家に泊まる予定だった。
そして、捺希くんは母の妹とその妹の息子と3人で花火大会に行くことに。
露店店主の誤った行動
福知山を流れる由良川の河川敷で行われる花火大会には、100以上の露店が出る。
その準備が進められていた。
この日の最高気温は37.2度。
あのベビーカステラ店では開店の準備をしていた。
その準備のなかで、鉄板に火をつけようとした。
店主はガソリンが近くにあったら危ないからと、少し離れた場所にガソリンが入った携行缶を移動させた。
つい炎天下にガソリンが入った携行を置いた男。
実はこの男、以前造園の仕事をしていたが、その当時親方にガソリンは日向には絶対に置くな、と注意を受けたことがあった。
ガソリンは、マイナス40度でも気化する。
そして温度が上がれば上がるほど気化する量は増える。
気化すると、容器内に蒸発したガソリンの気体が増えるため、圧力が高まり、蓋を開けた際、一気に噴き出す危険がある。
そのため、携行缶には、ガス抜き用のネジが付いている。
実際に携行缶にガソリンを入れ、日向に10分置いただけでもガス抜き栓を緩めると気化したガソリンが噴き出す。
蓋をあける際は、ガス抜き栓から気化したガソリンを一度抜かなければ危険と注意書きがある。
多少の知識があったはずなのに、露天商の男は、日向にガソリンの入った携行缶を置いてしまった。
これが取り返しのつかない恐ろしい事件に発展する。
何も知らない子どもたちが会場へ
午後5時頃。山名空くんたちは、花火大会へ出発した。
夕方になり、会場には人が集まりだしてきた。
そして、午後6時頃。
余田捺希くんは母の妹とその息子と花火会場へやってきた。
そして、あのベビーカステラの露店では、照明をつけるため発電機を始動させた。
花火が始まるのは、午後7時30分。
気温37度以上の日向に置きっぱなしの携行缶。
さらに、発電機の熱風が当たり、ガソリンの温度はさらに上がっていったと思われる。
午後6時30分、空くんたちが会場に到着した。
露店が並ぶ裏側、階段の下の方は、花火が見にくいため、まだ座れる場所が残っていた。
日が沈んだとはいえ、まだまだ蒸し暑い。
しかも、竹内さん達が座るすぐ下の段に発電機があり、熱風が出ていた。
その熱風が、ガソリンの携行缶にあたっていたのだが、
花火大会は露天商にとって稼ぎ時、男はガソリンのことまで気が回らなかったのか...。
そして、ある若いカップルがこんな事をした。
ガソリンの入った携行缶を発電機の近くにずらして、座ったのだ。
しかし...結局、若者たちは発電機の風が熱くてその場を立ち去った。
携行缶は、熱風の吹き出す発電機のすぐ横に。
日が落ち、花火打ち上げももうすぐ。見物客も増え、店は忙しさを増した。
やがて空くんは焼きそばを買って戻ってきた。
友達は遊びに行ったが、空くんは残って花火を見ることに。
一方、捺希くんは...ベビーカステラの屋台の横で花火を見ることになった。
そして悲劇が起こる
花火が始まる直前、ベビーカステラの店である事が起こる。
発電機のガソリンが切れそうになったのだ。
男は、急いで発電機にガソリンを入れようとした。
携行缶のガソリンは、日向におよそ4時間。
さらに、発電機の熱風で熱せられていた。
ガス抜きをして、細心の注意を払わなければいけなかったのに...
ガソリンの扱いにも慣れていたはずの男は、ガス抜きをしなかった。
そして...携行缶を開けるとガソリンが噴射!
噴き出したガソリンは見物客にかかった。
そして、ガソリンを撒き散らしながら...ついには店のコンロに引火し爆発。
その炎は、ガソリンがかかった多くの人を襲った。
花火会場はパニックに...。何人もが、熱さに耐えられず川に飛び込んだ。
そして、1回目の爆発から数分後、2回目の爆発が。
それは、プロパンガスのホースからガスが漏れ引火し、爆発したと考えられた。
ベビーカステラ店の横にいた捺希くんは右半身に熱風を浴び、ひどい火傷をしていた。
一方、ガソリンの入った缶のすぐ近くにいた空くんと竹内さん。
空くんを必死に守ろうとした竹内弘美さんは、全身を火傷し、2日後に亡くなった。
空くんは爆発後、みんなと離れ離れになっていた。
そして消防隊が来ると、名前と年齢をしっかり答えた。
実はこの時、やけどの大部分が一番重いⅢ度熱傷で神経までなくなっていたためか、
痛みをあまり訴えなかったという。
しかし竹内さんが亡くなった2日後、空くんも息を引き取った。
2人とも熱風を吸い込み、気管や肺を火傷したためだった。
爆発事故が残したもの
事故から約1時間半後...
ベビーカステラ店の横で火傷を負った捺希くんの両親が病院へ到着すると、病院は負傷者で溢れかえっていた。
息子がいる病室に向かうと、病室は焦げた臭いが漂っていたという。
そして、奥に痛々しい姿の息子が。
捺希くんの大部分の火傷はII度熱傷。
わずかに神経が残っているので痛みは激しかった。
その日の夜中、捺希くんは設備の整った病院へ移った。
気道に火傷がなかったため、熱風を吸い込む事はなかったと思われた捺希くん。
医師から「命の心配はない」と言われたが、
捺希くんは痛みで眠ることもできなかったという。
翌日、爆発事故は報道で大きく取り上げられた。
夜が明けた現場には、焼け焦げた残骸が散乱し爆発の激しさを物語っていた。
原因を究明するため、警察は露天商の男に聞き込みをしたかったが、男も重症で面会できない状態だった。
事故から1週間...捺希くんの皮膚は白っぽくなった。
表皮がほぼめくれ、下にある真皮が見えていたからだった。
さらに、立つこともできるようになった。
そしておよそ1か月後には退院。
だが、火を見るだけであの日の恐怖がよみがえる。
あの事件が残した精神的なダメージは大きかった。
残された遺族たちの思いとは
2014年3月27日。
露天商の男に業務上過失致死傷の罪で禁錮5年の判決が下った。
捺希くんは今、高校を卒業し希望する大学を目指し猛勉強。
高校では、大好きな野球ができるまで回復したが、痛々しい傷跡がなくなることはない。
それでも、やけどのショックから立ち直れたのは、入院した病院の看護師さんや先生が優しく接してくれたからだという。
一方、爆発で幼くして亡くなった空くん。
母・三千代さんが、忘れられない息子の姿。
熱風を吸い込んでいたため喋ることもままならなかった空くんが
「のどが渇いた」と訴えてきた時...
看護師から水を与えることを止められた。
実は、重度の火傷で水を飲むと、過敏になった血管から血液中の水分があふれてむくみの原因となり、喉が腫れ、呼吸ができなくなる危険があったのだ。
喉がカラカラだったにも関わらず、水を飲むこともできずに亡くなった息子。
そして、母・三千代さんにとって、忘れられない空くんとの思い出が...
母の日には、お金をためて自分のお小遣いで1本のカーネーションを「お母さん」と言って渡してくれたのだという。
三千代さんは、それが「すごくうれしかった」「誰にでも優しい子だった」と語った。
最愛の息子の命を奪う原因となった爆発を起こした男からは、
手紙1通もなく、お詫びの一言も何1つなく、今も悔しい思いがあるという。
爆発事故で亡くなった方は3人。
負傷者は48人。そのうち半数以上が入院が必要な重傷だった。
ガソリンを扱う者のあまりにも不注意な行動で起きた、悲惨な事故。
爆発を起こした男性は、現在出所している。
しかし現在も、今回取材した遺族への直接の謝罪は一切ない。