◆ 小山直城さん
埼玉県日高市出身。東京農業大学ではチームとして箱根駅伝に出場する機会は無く、2年時の第93回大会(2017年)で関東学生連合の一員として4区を走り10位相当の成績を残した。卒業後はHondaに進みニューイヤー駅伝の連覇に貢献。2023年10月のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)では悪天候の中で優勝し、パリ五輪への出場権を獲得した。
小学校の時のマラソン大会で上位に入れて、「走るのが向いてるのかな」と思って中学では陸上部に入部しました。箱根駅伝はその頃から見ていて、顧問の先生が箱根駅伝のファンで、正月に部員を現地に連れて行ってくれました。2区で東海大学の村澤明伸さんの走りを見て、留学生の速さにびっくりして、5区では東洋大学の柏原竜二さんも生で見られました。どの選手も迫力がすごくて「自分もいつか箱根駅伝を走りたいな」とその時から漠然と思っていました。
高校に上がる時にはいくつかの学校の陸上部を見学して、県立松山高校に進学することになりました。徐々に力をつけることができ、高校2年の時からはいろいろな大学から声をかけていただけるようになりました。3年生の時の県駅伝で1区を走って区間賞を獲得できて、この時は自分でも「走れたな!」と思いました。この結果で都道府県駅伝のメンバーにも選んでもらい、4区で区間賞を獲得して、優勝メンバーの一員にもなれました。あこがれの設楽悠太さんと一緒のチームになれたのも、すごくうれしかったですね。
実は箱根で優勝経験のある強豪校からもお誘いをいただいていたんですが、東京農業大学への進学を決めたのは、興味がある学部があり、勉強も頑張りたいなと思っていたからです。箱根駅伝はあこがれでしたけど、正直なところ自分の実力だと、メンバーに入れるかというのはその時自信がなくて。僕が高校2年のときに東京農業大が箱根駅伝予選会をトップ通過して、ここなら勉強も、箱根への挑戦もやっていけそうだなと思って決めました。
専攻は応用生物学部醸造化学科でした。発酵食品、ビールなどのお酒について研究する学科で、実験も毎週ありました。3年生の時には熊本の酒蔵に2週間実習に行かせてもらったりと、すごく貴重な経験ができたなと思っています。ただ、勉強に充てる時間はすごく多く、陸上の練習をする時間をつくるのが大変でした。正直言って、陸上より勉強の方に力を入れていました。あまり他の選手と話すこともなく、自分のことを優先してしまったなと…。心残りはありますが、研究室に所属していて、卒業論文もあったので、実際は余裕がありませんでしたね(苦笑)。
大学2年のときに箱根駅伝予選会で全体の30位に入り、関東学生連合のメンバーに選んでもらいました。その時は走る区間は11月の10000mの記録会のタイム順で決めて、4区を走ることになりました。合同練習は一回、12月の下旬に2泊3日の富津合宿があり、全員で集まるのはそこだけでした。なかなか「チーム」としてまとまるのは難しいなとは感じましたが、他校の選手と話すのは新鮮でした。同学年の中央大学の堀尾謙介(現・九電工)や、東京国際大学の照井明人さん(現・SUBARU)とはいまでも交流があります。
本当は前半の1、2区を走って、他の選手と競ったり、前の方でレースをしたいという気持ちがありましたが、襷をもらった時には20番目で、前も後ろも離れていたため、単独走になりました。本来の駅伝のイメージとは違いましたが、沿道の応援が途切れなくて、すごいなと思いながら走っていました。箱根駅伝って楽しいんだな!と純粋に思えました。
すごく楽しかったからこそ、1回ぐらいはチームとして出たかったなという思いはあります。けど、僕のいた時はチームの層が薄く、現実的に予選会を突破できるための10人を揃えるのも難しかったなと思います。だからこそ、今年農大が箱根駅伝への出場を決めたのはすごくうれしかったです。予選会がMGCの前日で、宿舎には陸上関係の人たちがたくさんいたんですが、みんなが「よかったな!」と声をかけてくれました。
「箱根駅伝に出る」という目標は達成したものの、どこか悔いも残った大学時代を経て、Hondaに入ってからは競技に割ける時間が格段に増えました。それまで勉強に充てていた時間を、ほぼ競技の方に充てられています。チームはメンバーが17人に対し、スタッフが7人もいます。いろんな人からアドバイスをもらえるのもすごく恵まれているなと思います。
実業団に入ると決めた時から、最終的にはマラソンをやりたいという気持ちがありました。練習量が増え、練習の質も上がり、社会人3年目に10000mで27分55秒16と、27分台を出せました。トラックで結果を残したあとにマラソンをやりたいと考えていたので、ここからマラソンをやろう、そしてオリンピックを目指そうと思い始めました。
10月15日のMGC当日は、前日とは打って変わって寒くなり、土砂降り。でも僕は暑いよりも気温が低い方がいいなと思っていたので、プラスに働きました。川内優輝選手が飛び出しましたが、最終的に2位以内に入れば内定がもらえるので、焦らず自分のペースを守って走っていました。1kmごとにチームメイトが立っていて応援してくれて、その声が聞こえてすごく力になりました。
35kmからレースが動きましたが、自分から仕掛けるにしてもまだちょっと早かった。仕掛けるなら1回で決めたいと考えながら走っていると、集団のペースが落ちてきて、まだ余裕がありました。本当はラスト1kmぐらいでいこうと決めてたんですが、ラスト3km手前で前に出た時に体が動いて、ちょっとずつペースを上げたら後ろがついてこなくて「いけるかな」と思いました。
正直なところ、優勝できるとは思っていませんでした。でもここまでしっかりと練習を積めてきたので、入賞、8位以内には入れるだろうとは思っていました。国立競技場に1位でゴールした時もあまり実感がありませんでした。あとからいろんな人に祝福してもらって、注目もされるようになって、だんだん実感が湧いてきましたね。
今は目前に迫ったニューイヤー駅伝に向けて練習をしています。といっても、僕の場合はマラソンだから、駅伝だからと調整方法を変えることはしません。毎日の練習の延長に試合があるという意識でいます。ライバルはみんな強いですが、3連覇がかかっているので頑張りたいです。実は、MGCで優勝した時より22年、23年とニューイヤー駅伝で優勝した時の方がうれしかったんですよ(笑)。駅伝はみんなで盛り上がれるのがやっぱりいいなって思います。
箱根駅伝は自分にとって中学、高校時代から目標にしていた舞台で、箱根に出られたからこそ次の目標、オリンピックが見えてきたと思っています。今後も多くの人のあこがれの大会であってほしいですし、学生連合チームも復活となったら嬉しいですね。僕はそのおかげで箱根に出られましたから。それから、せっかく学生連合でも出るのだからオープン参加ではなく、記録も残ったらさらに嬉しいです。僕の時も10区を走った照井さんが一番速く、でも記録が残らないので「幻の区間賞」になってしまったので。
1日にニューイヤー駅伝を走った後は、2、3日は沿道に母校の応援に行くつもりです。同窓会みたいな感じにもなると思うので、楽しみです。やっぱり母校が出ると箱根駅伝の見方も変わってくるので、ぜひこれを機に出場を続けていけるよう、OBとして応援していきます。
僕も今までの経験をすべて糧にして、理想の走りをできるように練習を積んでいきます。あこがれの設楽悠太さんのように、多くの人の心を動かす突き抜けた走りをしたいなと思っています。