第474回日本テレビ放送番組審議会は、1月15日、22日放送の水曜ドラマ『明日、ママがいない』に関しての合評を行いました。

『明日、ママがいない』は、児童養護施設に暮らす子供たちが主人公。「弱さ」を抱えている子供だからこそ持つ「強さ」と「優しさ」を通じて現代社会に「愛情とは何か」を問う物語です。

  • このドラマについて問題視する意見が色々あると思うが、ドラマがリアリティを求めるのか、まったくの架空の作り物なのか、どちらかにふれていないからだと思う。例えば『シンデレラ』みたいに、日本人にとってあり得ないシチュエーションであれば、子供がいじめられていても架空だと分かるが、この話は、まだらにリアルなところがあるので、傷つく人が出てくるのではないかと思った。
  • このドラマは『小公女』とか『小公子』のような、子供を主人公にした児童文学のある種の流れというか作りであって、施設長の体罰に関しても、ネット上で文字で見ると、どんなことが行われているのかと思ったが、少し引っかかったところが先走って先鋭化し、物凄くセンセーショナルなドラマだと思われているのが、若干、違和感があった。ポストというあだ名だけは、どうしても物凄く限定されたところに抵触してしまうのが残念だったいう気がする。
  • 子役が使う「チクショウ」などの汚い言葉が多すぎて、役者としての年頃などを考えるとちょっと痛い。子役の皆さんの演技はとても上手だが、全て色んなことを出させ過ぎていて、ちょっと消耗品になっている「痛さ」を感じた。
  • どのくらいの覚悟を持って、このドラマがスタートしたのかは分からないが、意識の甘さというか、「ポスト」という名前を子供に付けることで、これだけのことが起きるということが予想できなかったのか?と思う。
  • 自分は11歳の時に母親がいなくなり、父親に雑に扱われていたので、主人公に素直に感情移入ができた。自分の中にいる子供の自分が、主人公に「もっと言ってやれ」「もっと怒ってくれ」と思った。本当は辛くて出来ないから、子供の言い分を存分にぶちまけてくれと思った。
  • 何が問題かというと、養護施設の子たちが置かれている状況や、彼らが普段取らざるを得ない態度であり、取材もしたと思うが、いささか無神経だったところがあるのではないか。やはり、一にも二にも三にも、説得して言葉を使う。そういうテレビ局の態度や姿勢を見せることによって、ある意味、攻撃的な世論への対応になるはずだと思う。
  • 初動の対応は、慈恵病院の関係者でもいいし、養護施設の関係者でもいいが、真っ先に制作者が飛んで行って、向かい合って、記者会見を通じた一片の内容ではなく、あちら側の思いとか、こちら側の制作者の意図とかを粘り強く説明する必要があったのではないかと思う。
  • 養護施設の問題、里親問題というのは、いろんな問題を抱えているので、従来以上に注意をして作っていかねばならないと思う。問題は色々出てくるし、厳しい意見もあるが、対応策をどうするかというと、番組は番組の中できちっと解決していくという番組作りをしていくべきだと思う。
  • 映画だと、初めにどんな悲惨な凄惨な場面があっても、最後は救われることまで見てくれるが、連続ドラマは一回一回が勝負なので、一回でも嫌いな場面にぶつかると視聴者は見てくれない。そういう点が映画と違うと思う。

この御意見を受けて、日本テレビ側は次のように答えました。

「テレビの影響は大きいことを自覚し、丁寧な対応をしなければならない。自分たちが視聴者に支持される番組を作っているという自信があれば、なおさら丁寧な説明、理解を求めることを怠ってはならない。今後も指摘については真摯に受け止め、理解を深めてもらうことに全力を挙げたいと思う」