報道局
政治が動く瞬間を、
いちばん近くで
目撃する
政治部デスク
菅原 薫Kaoru Sugahara
1998年入社
文学部 人間関係学科 卒
政治部与党担当キャップ。これまで政治部記者を中心に、社会部記者、『真相報道バンキシャ!』ディレクターなどを担当。
「なぜ知りたいのか」を
相手にきちんと伝えること
政治部で与党(自民党)を取材する記者をまとめるキャップという担当をしていました。キャップというと偉そうに聞こえますが、実際は新人記者と同じく国会議事堂や自民党内をかけまわり、政治家や関係者を取材する日々…取材相手の政治家に信頼してもらい、どれくらい食い込んでいけるかが政治部記者の腕のみせどころ。そのために心がけているのは、まず「なぜ知りたいのか」を相手にきちんと伝えること。自分が腹を割らないと、取材相手も本音を言ってくれないと思っています。的を射た質問ができるように、また相手から内容のある言葉を引き出せるように、政策や法律などに関する情報収集や日々の勉強は欠かせません。
現場には、空気の変わる瞬間がある
現場で取材をしていると、何かが起きる前に「あれ? なんか温度が変わった」と感じる瞬間があるんです。その瞬間は、取材相手の発言であったり、記者の質問だったりします。現場の空気に変化が生じ 、それをきっかけとしてダイナミックに物事が動いていく…その変化をいち早くキャッチして、いちばん近くで政治が動く瞬間に立ち会えるのが記者のやりがいだと思います。大切なのは、どうすればそれを視聴者に興味深く見てもらえるのか、どうすれば映像と音声を使ってわかりやすく政治を伝えられるのか。テレビの記者としては、つねにそれを考えていますね。
忘れえぬ取材
報道局で最初に配属されたのは事件や事故などを取材する社会部という部署でした。新人記者としてすぐに、医療ミスで亡くなった女子高校生のご遺族を取材したことは一生忘れられません。娘を亡くし悲しんでいるご遺族にカメラを向けてよいものか…一方で、二度とこのような事件を起こさないようにご家族の思いをしっかり聞かなければならないという思い…その葛藤の中で取材をしていました。後日、ご家族からこのようなメールをいただきました。「身長の高い菅原さんの姿が娘に似ており、娘の部屋で取材を受けているときは、まるで娘が帰ってきたような気持ちでした」と。取材する側と取材される側の気持ちの違いや、取材相手との向き合い方を考えさせられました。自分を成長させてくれた、取材の原点だったと思います。
テレビの報道記者を志したきっかけ
テレビの報道記者を志したのは、湾岸戦争、細川政権誕生、阪神淡路大震災、オウム真理教事件といった高校から大学時代にかけて相次いだ大事件を、インパクトのあるニュース映像で目の当たりにしたことがきっかけです。そうした体験が積み重なり、もともと関心のあった政治の現場を自分の目で見て、テレビを通して伝えたいと考えるようになりました。学生時代に特に政治に詳しかったわけではありません。ワインが大好きだったので、夏休みにフランスに渡り、ブルゴーニュ大学でワインの勉強に打ち込んだりしていました。そんな経験が今、政治家との宴席で役立っています(笑)。何が自分の武器になるのかわからないものですね。