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1651年にアルルの古代ローマ劇場で3個の断片として発見された。 復元されて同市の市庁舎を飾っていたが、ルイ14世の要望でヴェルサイユ宮殿に移管されて鏡の間を飾っていた。その際にフランス古典主義を代表する彫刻家ジラルドンによって両手が補刻され、さらに林檎と鏡が追加された。フランス革命時に接収されてルーヴル美術館のコレクションとなり、その過度な修復が問題となったが、前4世紀の原作がヘレニズム時代に模刻され、一度地中に埋没して発見され、ルイ14世時代の趣味で優美な女神に改変されたこと自体が、ひとつの作品の歴史(受容史)として認められるので、再度修復されることなく、現在でもこの姿をとどめている。 ルーヴル美術館の古代ギリシア美術コレクションを象徴する作品で、原作者は前4世紀を代表する彫刻家プラクシテレスとされる。 |
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