GALLERY 作品紹介
◆ 第2章 ◆
第1章 権力の顔 第3章
「記憶」と並び、肖像芸術が最も古くから担ってきたもう一つの役割が「権力の顕示」です。王や皇帝など最高権力を振るった君主にとって、自らの似姿である肖像は権勢を広く知らしめる最も有効な手段でした。そこには、誰が見ても君主だと分かるように、各時代・地域・社会の文脈に応じて構築された表現コード(決まった表現の仕方・表現上のルール)が用いられています。
たとえば、紀元前三千年紀末頃の古代メソポタミアの王は、《ハンムラビ王の頭部》と通称される像のように、縁のある被り物をかぶった姿で表されました。また、フランス皇帝ナポレオンは、古代ローマの皇帝像とフランスの国王像の双方の表現コードを自らの肖像に巧みに取り入れ、君主としての正当性を強調する戦略をとっています。こうした権力者の肖像は、頭部像、胸像、全身像などの彫刻、絵画や版画から、持ち運ぶことのできるタバコ入れ、貨幣やメダルまで、多岐にわたる媒体に表現され、国土の隅々まで伝播しました。
本章では、絶対権力を握った君主や、王妃・王女を表した作品を通して、権力者の肖像表現の特質を浮かび上がらせます。さらに、古代ギリシャの詩人ホメロスから19世紀フランスの文豪バルザックまで、「精神の権威」ともいうべき哲学者や文学者の肖像も紹介します。
たとえば、紀元前三千年紀末頃の古代メソポタミアの王は、《ハンムラビ王の頭部》と通称される像のように、縁のある被り物をかぶった姿で表されました。また、フランス皇帝ナポレオンは、古代ローマの皇帝像とフランスの国王像の双方の表現コードを自らの肖像に巧みに取り入れ、君主としての正当性を強調する戦略をとっています。こうした権力者の肖像は、頭部像、胸像、全身像などの彫刻、絵画や版画から、持ち運ぶことのできるタバコ入れ、貨幣やメダルまで、多岐にわたる媒体に表現され、国土の隅々まで伝播しました。
本章では、絶対権力を握った君主や、王妃・王女を表した作品を通して、権力者の肖像表現の特質を浮かび上がらせます。さらに、古代ギリシャの詩人ホメロスから19世紀フランスの文豪バルザックまで、「精神の権威」ともいうべき哲学者や文学者の肖像も紹介します。
第2章 ◆ 権力の顔
《王の頭部》、通称《ハンムラビ王の頭部》
バビロン第1王朝、前1840年頃
イラン、スーサ出土 斑れい岩 15.2×9.7×11 cm
本作は、古代オリエントの最も有名な肖像作品の一つに数えられます。縁のある被り物と、頬からあごを覆う髭は、前三千年紀末のメソポタミアの王の肖像表現に典型的な特徴です。しかし他の作例と異なり、この男性の相貌はかなり高齢に見えます。そのためモデルは、43年の治世を誇り、ハンムラビ法典を制定した老練な賢者であるバビロニアのハンムラビ王(在位:前1792-前1750)と考えられたこともありました。しかし今日では、ハンムラビ王の治世より前の制作と推測されており、モデルについては、都市国家ラルサの王で、ハンムラビ王に攻略されるに至ったリム・シン1世(在位:前1822-前1763)、あるいは彼の祖父で、バビロン第1王朝の2代目の王スムラエル(在位:前1880-前1845)とする説が提示されています。
第2章 ◆ 権力の顔
《アレクサンドロス大王の肖像》、
通称《アザラのヘルメス柱》
2世紀前半、リュシッポスによる原作
(前340-前330年頃)に基づきイタリアで制作
イタリア、ティヴォリ出土 大理石(ペンテリコン産) 68×32×27 cm
現在のギリシャ北部に当たるマケドニア王国を治めたアレクサンドロス3世、通称アレクサンドロス大王(在位:前336-前323)は、自身の肖像を3人の芸術家だけに制作させました。その一人が、ギリシャのクラシック期を代表する彫刻家リュシッポス(前390-?)です。本作は、リュシッポスが制作したブロンズの全身像《槍を持つアレクサンドロス》(前330頃、現存せず)の頭部のみをローマ時代に模刻したもので、土地の境界や路傍に置かれた「ヘルメス柱」と呼ばれる角柱と組み合わされています。リュシッポスの作品は1点も現存しませんが、古代の著述家が伝えるところでは、その作風は適度な理想化を加えつつ、モデルの個性を生き生きと表現したものだったようです。本作は、前髪を逆立てた独特の髪形をはじめ、大王の容貌の特徴を最もよく伝える貴重な作例とみなされ、その肖像制作にのぞんだ後世の芸術家たちから常に手本とされました。
第2章 ◆ 権力の顔
アントワーヌ=ジャン・グロ
《アルコレ橋のボナパルト(1796年11月17日)》
1796年 油彩/カンヴァス 73×59 cm
1796年、イタリア遠征軍総司令官に抜擢されたナポレオン・ボナパルトは、同年11月15日から3日間、北イタリアのアルコレでオーストリア軍との戦いを指揮し、勝利を収めました。27歳の若き将軍は、アルコレ橋の上で立ち往生する兵士たちを見て、三色旗を掲げて橋に突進し、士気を高めたと伝えられています。この勇姿を表したのが本作です。当時25歳だった作者グロは、ボナパルトの妻ジョゼフィーヌを介して、肖像画を制作する承諾を得ました。しかし血気盛んなボナパルトはずっと同じ姿勢をとることを嫌ったため、グロは短時間でモデルの特徴をとらえねばなりませんでした。グロは、疾走しながら振り返る若き英雄の躍動感あふれる姿を、素早いタッチで生き生きと描写しています。眉根を寄せた青白い精悍な相貌は、以降、将軍時代のボナパルトを描く画家たちの手本となりました。なお、半身像の本作は習作で、膝までの姿を描いた最終作はヴェルサイユ宮殿美術館に収蔵されています。
第2章 ◆ 権力の顔
クロード・ラメ
《戴冠式の正装のナポレオン1世》
1813年 大理石 210×103×82.3 cm
1804年12月2日、ナポレオン・ボナパルトは戴冠式を行い、フランス皇帝に即位しました。以降、1814年4月に退位するまでの第一帝政期には、宮殿や官公庁に設置するために、戴冠式の衣服をまとった皇帝の肖像画や彫像が盛んに制作されています。本作は、元老院の議事堂であるリュクサンブール宮殿の「皇帝の間」を飾るために制作されたもので、権力者ナポレオンのイメージ戦略をよく物語る1点です。作者のクロード・ラメは、戴冠式の装束の特徴を忠実に再現しました。古代ローマの皇帝に由来する月桂冠と、歴代のフランス王室ゆかりの白テンの毛皮とビロードのマントは、皇帝ナポレオンが古代の理想に連なるフランスの正統な君主であることを象徴するものです。しかし、フランス王家がユリを紋章としたのに対し、ナポレオンはフランス最古の王朝とみなされるメロヴィング朝ゆかりのミツバチを皇帝の紋章に制定しました。本作でもマントにはミツバチが散りばめられています。
第2章 ◆ 権力の顔
フランチェスコ・アントンマルキ
《ナポレオン1世のデスマスク》
1833年 石膏 35×16×19.5 cm
1821年5月5日、追放先の孤島セントヘレナで病に伏したナポレオンが息をひきとると、7日から8日にかけて、イギリス人の主治医バートンが石膏でデスマスクを作成しました。しかし、同じく主治医であったイタリア人のフランチェスコ・アントンマルキは、デスマスクの顔の部分だけを持ち去ってしまいます。その後フランスに移り住んだアントンマルキは、1833年にデスマスクの複製をブロンズと石膏で作成し、予約制で限定販売しました。当時フランスはオルレアン家出身の国王ルイ=フィリップによる七月王政(1830-1848)の時代でしたが、国王は対立する諸派を懐柔するために、民衆や知識人から共感を得ていたナポレオン崇拝の動きを支持する政策をとっていました。ルイ=フィリップは、アントンマルキが販売したデスマスクの複製のうち、ブロンズ製5点、石膏製25点を入手したことが知られています。本作品はそのうちの1点です。
第2章 ◆ 権力の顔
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル
《フランス王太子、オルレアン公フェルディナン=フィリップ・ド・ブルボン=オルレアンの肖像》
1842年 油彩/カンヴァス 158×122 cm
19世紀フランスの新古典主義の巨匠アングルは、歴史画のほか、上層階級の人々を精緻な筆使いで描いた肖像画によって高い名声を博しました。本作のモデルは、七月王政(1830-1848)の国王ルイ=フィリップの長子、オルレアン公フェルディナン=フィリップです。温和な人柄で、文学や美術に造詣が深かったオルレアン公は、ベルギーや北アフリカで戦功をあげ、勇敢さでも名高い人物でした。本作では、勲章をつけた軍服をまとい、二角帽を携えた姿で表されており、輝かしい軍人としての側面が強調されています。オルレアン公自身から注文を受けたアングルは、1842年の春に本作を完成させましたが、同年7月、公爵は馬車の事故により31歳の若さで亡くなってしまいました。整った面長の顔立ち、細身の体躯など亡き公爵の面影のみならず、洗練された人柄をもしのばせるこの肖像画はきわめて高く評価され、画家自身により複数のヴァージョンが制作されています。
第2章 ◆ 権力の顔
セーヴル王立磁器製作所
(ルイ=シモン・ボワゾの原作に基づく)
《フランス王妃マリー=アントワネットの胸像》
1782年 ビスキュイ(素焼きの硬質磁器) 40×24×15 cm
王妃マリー=アントワネットを表したこのビスキュイの胸像は、のちに駐仏ロシア大使となるアレクサンドル・ボリソヴィッチ・クラーキン公爵の注文により、1782年にセーヴル磁器製作所で作られました。国王ルイ16世の胸像とともに注文されたようですが、王の像は今日に伝わっていません。制作を指揮したのは、1773年よりセーヴル磁器製作所の彫刻工房の長を務めていた彫刻家、ルイ=シモン・ボワゾでした。ビスキュイの雛型は、ボワゾ自身が1781年に手がけた大理石の王妃の胸像(ルーヴル美術館)に基づいて作られました。ボワゾは大理石像をサロン(官展)に出品した際、ドニ・ディドロをはじめとする批評家たちから、王妃の表情が硬く、横柄に見えることを批判されたためか、ビスキュイ像では目鼻をやや小ぶりにし、柔らかな表情に仕上げています。高く結い上げた髪はフランス王家のユリの紋章のついたリボンで飾られ、王妃の身分と権威を示しています。
第2章 ◆ 権力の顔
セーヴル王立磁器製作所
《国王の嗅ぎタバコ入れの小箱》
1819-1820年 硬質磁器、金鍍金された銀、木、ビロード 23×38×28 cm
マリー=ヴィクトワール・ジャコト
《「国王の嗅ぎタバコ入れ」のためのミニアチュール48点》
1818-1836年 硬質磁器、金鍍金されたブロンズ 各6.9×5.6 cm
この優美な嗅ぎタバコ入れは、復古王政(1814-1830)の国王ルイ18世(在位:1814-1824)のためにセーヴル磁器製作所によって制作されたものです。蓋の裏側には、嗅ぎタバコを入れる小さなスペースがあります。箱の本体は、楕円形のミニアチュールを8点並べたプレートを3枚収納できる仕様で、使用者はその中から1点を選び、嗅ぎタバコを入れる部分に飾ることができました。ミニアチュールを手がけたのは、セーヴル磁器製作所で「国王のキャビネ(執務室)のための磁器の画家」として活躍したマリー=ヴィクトワール・ジャコトです。ジャコトは1818年に注文を受けてから、ルイ18世没後の1836年まで断続的に描き続け、最終的に48点を制作しました。いずれも、過去の巨匠たちが描いたフランスとヨーロッパ諸国の王侯貴族や、文学者、哲学者の肖像画に基づいています。これらの人物の選択には、君主制の復活を称揚する意図が読み取れるでしょう。