第1章 ウィーンからヴェルサイユへ、皇女から王太子妃へ

マリー・アントワネット(1755−1793)は、ハプスブルク家の皇帝フランツ1世と、オーストリア大公マリア・テレジアの15番目の子として生まれた。彼女はシェーンブルン宮殿で幼年時代の大部分を過ごしたが、 1766年5月より始まった長きにわたる交渉の末、ルイ15世の孫の王太子(のちのルイ16世)とマリー・アントワネットとの「縁談」がまとまり、これを機にハプスブルク帝国と、そのライバルであったフランスとの絆が確固たるものになった。しかしマリア・テレジアは娘が語学や一般教養の知識に欠けていることを認めており、2人のフランス人俳優や教養豊かな神父が将来の王妃の教育係を務めた。 1770年4月21日、14歳のマリー・アントワネットはウィーン宮廷と家族に永遠の別れを告げた。この時、母は長い手紙を娘に託し、そこに書き記された多くの教訓を毎月読み返すよう彼女に義務づけたのだった。

フランツ・クサーヴァー・ヴァーゲンシェーン 《チェンバロを弾くオーストリア皇女マリー・アントワネット》 1769–1770年頃 油彩、カンヴァス 134×98cm ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum, Wien
マッティン・ファン・メイテンス(子) 《1755年の皇帝一家の肖像》 1755年 油彩、カンヴァス 190×177cm ヴェルサイユ宮殿美術館 ©RMN-GP (Château de Versailles)/©Daniel Arnaudet

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