世界まる見え!テレビ特捜部
07/05/14 OA
ブルックリン橋物語 夢をかける男たち
○イーストリバーに橋を…
今から150年前。
ニューヨークのマンハッタン島と、ブルックリン間の交通手段はフェリーのみ。
人々は「イーストリバーに架かる橋があれば」と、思い描いていたのだが、
イーストリバーの川幅は約500メートルもあり、
当時の建設技術では橋を掛ける事など不可能と思われていた。
ところが、そんな時代に多くの試練を乗り越え、
一つの家族が『ブルックリン橋』を作り上げたのである。


【父親 ジョン・ローブリング】
ドイツ人設計技師。
アメリカのナイアガラ渓谷に244メートルにも及ぶ、
世界初の『鉄道つり橋』を作り上げ、
世の中に『つり橋の耐久性』を広めた"天才技術者"。
『ブルックリン橋』の発案者であったが、橋の着工直後に、
不慮の事故で命を落としてしまった。


【息子 ワシントン・ローブリング】
ジョン・ローブリングの息子であると同時に、一流の設計技師。
志半ばで命を落とした父・ジョンに変わり、『ブルックリン橋』建設の技師長となる。
最新技術の"潜函工法"を導入するなど、画期的な方法と努力で
『ブルックリン橋』を完成に導いた第一の功労者。
だが、建設途中に"潜函病(せんかんびょう)"におかされ、
病床から建設の指示を取り続けた。


《"潜函工法(せんかんこうほう)"とは?》



《"潜函病(せんかんびょう)"とは?》


【ワシントンの妻 エミリー・ローブリング】
病に倒れた夫のワシントンを支え、現場で作業の指示を出す。
独学で高等数学や力学を学び、
橋の建設における専門的な知識も持っている女性。
ワシントンが病気の為、技師長から降ろされそうになった時も
『建設委員会』に夫の気持ちを訴え、その立場を救った。
『ブルックリン橋』完成の陰の功労者。


○家族の絆で作り上げた『夢の架け橋』…
発案者ジョンの突然の死、潜函病におかされたワシントン、
更に潜函内での火事や、工期の遅れを批判するマスコミなどと戦いながら、
ローブリング一家を中心といた『ブルックリン橋』の建設は進められていった。


そして、1883年5月24日。
ニューヨーク市民の"夢の架け橋"『ブルックリン橋』が完成。
発案者の『ジョン・ローブリング』、命をかけた技師長の『ワシントン・ローブリング』が
讃えられると同時に、陰の功労者である『エミリー・ローブリング』も
多くの人々から賞賛されたと言う。
今でも、『ブルックリン橋』の完成を祝う記念碑には、
この3人の名前が刻まれている。


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