今から38年前の1969年8月16日。
「カミール」と名づけられた、巨大ハリケーンがアメリカ本土に接近。
ミシシッピー州沿岸部の住民に避難するよう、警告が出された。
そんな中、海岸近くのアパートに住むベンは、
近所の住人ら4人とアパートに残ることを決めていた。
なぜなら、以前のハリケーンでも、このアパートは壊れなかったため、
今回も大丈夫だと思ったのだ。
一方、ジョージ・ワトソン校長は、高校の体育館に避難民を受け入れていた。
実は、郊外へ逃げる道は大渋滞し、町から出ることが出来ない人々が
まだたくさん残っていたのだ。
そしてもう一人、呼吸器の障害で、
呼吸を補助する装置から出られないため、逃げられない女性・アビーがいた。
一体、彼らにどんな運命が待ち受けているのか?
夜7時。ハリケーン「カミール」の前線が、ミシシッピーに到達。
海抜3メートルまで浸水、ベンたちアパートの1階部分は水没してしまった。
また、250人の避難民がいた、高校の体育館にも崩壊の危機が!
ジョージ校長は、暴風雨吹き荒れる中、なんとか隣の校舎へと移動させたのだ。
夜9時半。大規模な停電が発生。
アビーの呼吸補助装置も、バッテリー運転に切り替わった。
だが、バッテリーが持つのは数時間。どこまでもつか分からない。
そして、夜11時。ついに、カミールが上陸。
風速は85メートル、水位も7メートル以上に達していた。
すると!ベンたちのアパートの屋根が吹き飛び、水が流れ込んできた。
なんとか屋根から外に出たものの、すでに周囲には濁流の渦が。
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すると、アパートは見る間に崩壊!!
ベンは、仲間とバラバラになり、流されてしまったのだ。
一方、呼吸器に障害を持っていた、アビーにも危険が。
装置のバッテリーが残り少なくなってしまったのだ。
そこで職員は、一か八か車のバッテリーを持ってきてみることに。
さらに、ジョージ校長と250人の避難民のいた校舎も浸水がひどくなってきた。
彼らは、講堂に集まり、流れ込む水を衣服などで防ぎながら、
必死にドアを押さえ、恐怖の夜を過ごしたのだ・・・
そして、翌朝。ハリケーンは去った。
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校舎に避難したジョージ校長たちは、全員無事。
呼吸器障害のアビーも、車のバッテリーでなんとか生き延びた。
また、濁流に流されたベンも、大木につかまることができたため、
どうにか一命を取り留めたが、
彼と一緒にいた4人のうち、3人は命を落としてしまったのである。
ハリケーン「カミール」は、その後もアメリカを縦断し、
現在の金額でおよそ7000億円にものぼる被害を出したのである。
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