ニューヨークに建つ「自由の女神」。
高さは46m、台座を入れると90mを超えるこの巨大像が、
フランスからの贈り物だということは、ご存知の方も多いはず。
では、どうしてこんなデカイものが贈られてきたのか?
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【きっかけ】
1865年、フランスの歴史家が開いた夕食会で
「間もなく独立100周年を迎えるアメリカに、フランスから何か贈り物をしよう」
という話題になったところ、一人の彫刻家が
「とびきり大きな像を贈ってみては?」と発言。
彼の名は、フレデリック・オーギュスト・バルトルディ。
実は、バルトルディは、大きな像を作ることで知られる、巨大マニア。
この男が、全ての情熱を注いで作ったのが、あの自由の女神だったのである。
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【大胆なアイデア】
女神作りを進めるバルトルディだったが、制作には予想以上に時間がかかり、
約束のアメリカ独立100周年には到底間に合わない。
すると彼、なんと出来上がっていた右手の部分だけをアメリカに送ったのだ。
そして、その右手だけが、独立100周年記念式典に出展された。
また、資金難に陥った際にも、女神の頭だけをパリ万博に展示して
40万ドルの寄付を集めた。
【出来上がったパーツを人目にさらす】
実は、バルトルディは、この大胆方法で人の興味を引き、
数々のピンチを切り抜けていた。
ちなみに、自由の女神の制作には、フランス政府はタッチしておらず、
制作資金も出していない。全てフランスの人々の寄付によって作られた、
まさに「フランス国民からの贈り物」なのである。
【強力な助っ人】
バルトルディが最も悩んだとされているのが、
高さ4mの巨大な女神をどうやって自立させるかという点。
そこで、バルトルディが相談をもちかけたのが、ギュスターブ・エッフェル。
そう、後にあのエッフェル塔を作ることになる男である。
鉄骨を組み上げて頑丈な橋を作る名人だったエッフェルは
得意の方法を女神作りにも導入。
女神像の真ん中に、中心となる鉄塔を立てると、
そこからたくさんの鉄の棒を突き出させて、女神像の芯部を作成。
そこに銅板で作った、女神像の『着せた』のである。
この方法なら風や地震で像が揺れたとしても、
その衝撃を、クッションである鉄の棒が吸収してくれるのだ。
こうした見事なアイデアを積み重ね、女神像はついに完成。
1887年10月28日、ついにニューヨークに女神が立ったのである。
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以来、100年以上に渡ってアメリカのシンボルとして
人々に愛され続けている「自由の女神」。
ニューヨークに行った際にはぜひ訪れて、
フランスの男たちの情熱を感じてみてはいかが?
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