1956年7月17日。
この日、乗客1200人を乗せた、イタリアの豪華客船アンドレア・ドリア号は
101回目の航海に旅立つ。
イタリアのジェノバから、アメリカ・ニューヨークまで航行。
この船は、二枚目俳優のケリー・グラントやオーソン・ウェルズといった
数多くの映画スターも常連だった。
|
|
この船の船長はピエロ・カラマイ。
今回の航海を最後に勇退する予定であった。
アメリカ大陸に近づくにつれて霧が発生。
すぐさま船長は、霧に対する指示を出す。
さらに最新鋭のレーダーには、こちらに向かっているひとつの船影が。
その船は、アメリカから出航した、スウェーデンの客船ストックホルム号だった。
カラマイ船長は、霧の中で船の位置を知らせるため、霧笛を鳴らし続けるよう指示。
しかし、ストックホルム号の霧笛は聞こえてこない。
船長が自ら甲板に出て、目を凝らしてみると、
なんとストックホルム号が目の前に迫っていたのだ。
よけきることができず、衝突する2つの船!
|
|
カラマイ船長はすぐに、近くの船に遭難信号を発信。
それとともに、救命ボートで乗客を避難させていく。
さらに、ロープが足りなければ、カーテンやシーツなどで
即席のロープを作るなどの機転も利かせ、
数多くの乗客を素早く避難させることができたのだ。
死者は46名。約1100人の命を救ったが、
カラマイ船長は船を失った責任を問われ解雇。
さらに、この事故は、アンドレア・ドリア号のスピードの出し過ぎが
原因とも言われたのである。
だがその後、海洋専門家が、ストックホルム号の針路記録を分析し、
この事故の原因を解明。
すると、ストックホルム号が急激に針路を変え、
アンドレア・ドリア号に突っ込んだことが記録されていた。
専門家は、この事実を手紙に記し、カラマイ船長の元に届けたのだが、
船長はこの手紙の封を切らなかったと言われている。
無実の証明よりも、犠牲者をだしたこと、彼が誇りにしていた船が沈んだことに、
悲痛の思いを強く感じていたのであろう。
|