世界まる見え!テレビ特捜部
09/02/02 OA
ロバート・F・ケネディ暗殺 41年目の真実

1968年。
アメリカは、社会的に混迷を極めていた。
根強く残る人種差別、泥沼化するベトナム戦争・・・
人々の不満は爆発し、デモや暴動が各所で発生していたのだ。



そんな中、アメリカを良くしようと立ち上がったのが、
ロバート・F・ケネディ。
暗殺されたジョン・F・ケネディの弟で、民主党の上院議員だったロバートは、
1968年、アメリカ大統領に立候補したのだ。



だが、その年の6月5日。
ロバートは、カリフォルニア州の党内予備選挙で勝利。
ロサンゼルスのアンバサダーホテルを訪れ、勝利演説を行った。
そして、裏通路からホテルを出ようとした、そのとき!
ロバートは、厨房で銃撃されたのだ・・・
病院へ搬送されたが、翌朝、42歳の若さでその生涯を閉じたのである。



逮捕されたのは、24歳のパレスチナ人、サーハン・サーハン。
だが、サーハンの単独犯行説には、多くの疑問と謎が残っている。



【銃弾の謎】
警察の発表では、サーハンが使用したのは、8発入りの銃。
そのうち、3発がロバートに命中したとされている。
だが、FBIが事件現場で撮影した写真には、もっとたくさんの銃弾のあとが。
しかし不思議なことに、そのドアは、裁判が始まる前に、
警察が取り外し、壊してしまったと言う。



【致命傷の謎】
事件の目撃者は、「サーハンは、ロバートから少し離れて正面に立っていた」と
証言している。
だが、ロバートの遺体を解剖すると、
銃弾はすべて背後から、そして至近距離で撃たれたものだった。
しかも、致命傷となった脳を貫通した一発は、下から上向きに発砲されていた。



【証拠の謎】
重要な証拠とされたのが、サーハンの自宅にあったノート。
そこには、「RFK must die(ロバート・ケネディ死すべし)」と
何度も繰り返しかかれていた。
だが逮捕後、サーハンはノートについて、何も覚えていないと証言している。
しかも、発砲したことや、事件のあらましも、何も覚えていないと言ったのだ。



こうした事実から、弁護側のたてた一つの仮説。それは・・・
「サーハンは、催眠術によってロバート暗殺を仕向けられたが、
 実際にロバートを殺したのは別人が撃った弾で、
 サーハンは、最初から《逮捕されるための犯人》として仕立てられた」




実は、1960年当時、ある組織が
「催眠術を使って、無意識のまま犯罪をさせる」ことを研究していた。
それが、『アメリカ中央情報局 CIA』。
CIAは、ケネディ家にも強い恨みを持っていたと言われており、
その暗殺に関わったのではないかと、長年ささやかれているのである。
そして今回、この番組が見つけ出したのが、
「ロバート暗殺の日に撮られたホテル内の映像に、CIA諜報員が映っていた!」
と言う、驚くべき事実であった。
その1人、デイヴィット・モラリスについては、
かつて彼と仕事をしたことのある、元秘密工作院や元外交官に
その映像を確かめてもらったところ、「これはモラリスだ」との証言を得た。
他にも、2名のCIA関係者の姿を確認。
一体これは何を意味しているのか?



犯人として捕われたサーハン・サーハンは、
裁判で責任能力が問題視されたため、終身刑となり、
今も服役しながら、無実を訴え続けている。


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