1968年。
アメリカは、社会的に混迷を極めていた。
根強く残る人種差別、泥沼化するベトナム戦争・・・
人々の不満は爆発し、デモや暴動が各所で発生していたのだ。
そんな中、アメリカを良くしようと立ち上がったのが、
ロバート・F・ケネディ。
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暗殺されたジョン・F・ケネディの弟で、民主党の上院議員だったロバートは、
1968年、アメリカ大統領に立候補したのだ。
だが、その年の6月5日。
ロバートは、カリフォルニア州の党内予備選挙で勝利。
ロサンゼルスのアンバサダーホテルを訪れ、勝利演説を行った。
そして、裏通路からホテルを出ようとした、そのとき!
ロバートは、厨房で銃撃されたのだ・・・
病院へ搬送されたが、翌朝、42歳の若さでその生涯を閉じたのである。
逮捕されたのは、24歳のパレスチナ人、サーハン・サーハン。
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だが、サーハンの単独犯行説には、多くの疑問と謎が残っている。
【銃弾の謎】
警察の発表では、サーハンが使用したのは、8発入りの銃。
そのうち、3発がロバートに命中したとされている。
だが、FBIが事件現場で撮影した写真には、もっとたくさんの銃弾のあとが。
しかし不思議なことに、そのドアは、裁判が始まる前に、
警察が取り外し、壊してしまったと言う。
【致命傷の謎】
事件の目撃者は、「サーハンは、ロバートから少し離れて正面に立っていた」と
証言している。
だが、ロバートの遺体を解剖すると、
銃弾はすべて背後から、そして至近距離で撃たれたものだった。
しかも、致命傷となった脳を貫通した一発は、下から上向きに発砲されていた。
【証拠の謎】
重要な証拠とされたのが、サーハンの自宅にあったノート。
そこには、「RFK must die(ロバート・ケネディ死すべし)」と
何度も繰り返しかかれていた。
だが逮捕後、サーハンはノートについて、何も覚えていないと証言している。
しかも、発砲したことや、事件のあらましも、何も覚えていないと言ったのだ。
こうした事実から、弁護側のたてた一つの仮説。それは・・・
「サーハンは、催眠術によってロバート暗殺を仕向けられたが、
実際にロバートを殺したのは別人が撃った弾で、
サーハンは、最初から《逮捕されるための犯人》として仕立てられた」
実は、1960年当時、ある組織が
「催眠術を使って、無意識のまま犯罪をさせる」ことを研究していた。
それが、『アメリカ中央情報局 CIA』。
CIAは、ケネディ家にも強い恨みを持っていたと言われており、
その暗殺に関わったのではないかと、長年ささやかれているのである。
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そして今回、この番組が見つけ出したのが、
「ロバート暗殺の日に撮られたホテル内の映像に、CIA諜報員が映っていた!」
と言う、驚くべき事実であった。
その1人、デイヴィット・モラリスについては、
かつて彼と仕事をしたことのある、元秘密工作院や元外交官に
その映像を確かめてもらったところ、「これはモラリスだ」との証言を得た。
他にも、2名のCIA関係者の姿を確認。
一体これは何を意味しているのか?
犯人として捕われたサーハン・サーハンは、
裁判で責任能力が問題視されたため、終身刑となり、
今も服役しながら、無実を訴え続けている。
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