10/03/01 OA
フセイン拘束 知られざる真実
2003年12月13日。
アメリカ軍は<イラク> の「サダム・フセイン」を拘束、
その直後に撮影された1枚の写真には、「フセイン」を組みふせる
若い男の姿が写っている。
一体この写真には、どんな意味が込められているのか…。
<イラク> を、24年間も独裁支配した、サダム・フセイン。
彼は、フセイン政権に反乱を起こしてきた「イスラム教シーア派」の人々を
大量虐殺した。
シーア派の一員である青年「サミール」の友人や家族も犠牲に…。
「サミール」は命からがら国外に脱出、アメリカに亡命した。
その12年後の2003年、ブッシュ大統領がイラクへの攻撃を宣言。
「サミール」は「フセイン」と戦うため、アメリカ軍への協力を申し出る。
すると、『通訳』として従軍することを許された。
アメリカはイラク侵攻を開始したが、「フセイン」の行方がつかめずにいた。
しかしついにアメリカ軍は「フセイン」の元ボディーガードである
「ムハンマド」という男を拘束、フセインは<アッドール> という農村付近に
潜伏していると白状した。
2003年12月13日、
アメリカ軍は<アッドール> に向かい、フセイン拘束作戦を決行。
「サミール」も突入部隊に同行し、「ムハンマド」も連れてこられていた。
小さな農家に到着すると、そこには人がいた形跡はあるものの、
「フセイン」の姿は見当たらない。
しかし実は、「フセイン」はこの農家の庭に掘られた『地下壕』に隠れていた。
「ムハンマド」をその庭に連れてくると、地下壕の場所を指し示し、
言われた場所を掘り返してみると、地下壕の入口が現れた。
すると中から「撃つな。殺さないでくれ」という弱々しい声が。
地下壕から引きずり出された男は、変わり果てた姿の「フセイン」本人。
ついにアメリカ軍は、フセイン拘束に成功した。
すると「サミール」は、『フセインと写真を撮らせてほしい』と願い出る。
「フセイン」を組み伏せ、みじめな姿を写真に撮り世界に公開することで、
弾圧で殺された家族や友人たちの、無念を晴らそうとしたのであった。