10/03/22 OA
地獄のサバイバル アンデス山脈決死の72日間
1972年10月13日。
南米ウルグアイのラグビーチームが試合に出場するため、
特別チャーター機でチリの≪サンティアゴ≫へ向かっていた。
しかし彼らの乗った飛行機は、乱気流に巻き込まれ、アンデス山脈に激突。
翼が吹き飛ばされ、機体は真っ二つ、そのまま墜落してしまったのだ。
墜落後に生き残った32人は、標高4200mという氷点下の世界に放り出された。
翌日には、重傷を負っていた4人が死亡するという過酷な環境だ。
標高が高く気温が低いアンデス山脈山頂では、空気が極度に乾燥し、
生存者達は、深刻な脱水症状に陥っていた。
しかし、雪をそのまま食べると体温が急激に下がり、
それを補うために体力を消費してしまい、命を落としてしまうこともある。
そこで彼らは、機体に使われていたアルミニウムのシートを使って、
即席のじょうごを作成し、太陽の熱で雪を溶かし、水分を確保した。
しかし、食べ物は底を尽きかけていた。
一粒のピーナッツを3日間かけて食べるだけでなく、革靴や木片、
ヘアージェルまで口にしなければならなかった。
すると医学生の「ロベルト」が、全員の前で驚くべき話題を切り出す。
「生き残るためには、タンパク質が絶対に必要。その方法はただひとつ。
仲間の遺体を食べることだ。」
最初は拒否する者もいたが、生きることが死者のためになると考え、
最終的には全員が食べることになった。
これにより、彼らは命をつなげることが出来たのだ。
そんななか、飛行機の残骸の中から発見されたトランジスタラジオからは、
「乗客は全員死亡、救助活動は打ち切られた」という衝撃的なニュースが。
絶望的になる生存者達。
すると、生存者のリーダー的存在であった「ナンド」が、
『待つだけではなく、自分たちから行動しなければいけない』と考え、
目の前にそびえ立つ山を越え、助けを求めに行くことを決意。
仲間達は全員で協力し、旅立つ仲間のために、機体の断熱材で寝袋を作り、
座席のクッションを改良して歩きやすい靴を作った。
「ナンド」は即席の装備で、仲間と3人で出発。
山頂に近づくにつれどんどん空気が薄くなり、頭痛や吐き気に襲われ、
筋肉も動かなくなってくる。
さらに、越えても越えてもどこまでも険しい山々と深い絶壁が彼らを襲う。
山越え9日目。ついに雪の世界を乗り越えた彼らは、馬に乗った男性を発見。
最後の力を振り絞って助けを求めると、翌日、彼らは無事救出された。
2か月以上も前に墜落し、全員死亡と思われていた飛行機の乗客2人が、
アンデス山脈から歩いて帰って来たというニュースは、
この日、衝撃となって世界中をかけめぐった。
その後まもなく、残りの生存者たち14人も無事救出された。
12月22日。飛行機墜落から72日間。
最終的な生存者は16人、全員男性で平均年齢は22歳。
彼らにとってこの日は、忘れることのできないクリスマスプレゼントとなった。