<アメリカ・ニューヨーク>のライブハウスで演奏中の「ジェイソン・クリグラー」。
華麗なギターテクニックでステージを盛り上げていた彼は、突然脳出血で倒れた。
その原因は「脳動静脈奇形」。脳の中で動脈と静脈が毛細血管を介さず、直接繋がっ
ているという異常な状態の奇形で、過剰な血圧がかかると出血を起こす。彼は生まれ
つきこの奇形だったが、発症まで気づかなかったのだ。
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集中治療室へ運ばれた「ジェイソン」は7か月もの間死の淵をさまよい続け、どうにか
一命は取り留めた。だが、重度の意識障害で昏睡状態に陥ってしまい、手足は硬直、
周囲の呼びかけにもほとんど反応することはなかった。
それでも彼の家族は決して諦めなかった。妻の「モニカ」と妹の「マージョリー」は病院の
ある<ボストン>に引っ越し、彼の両親も<ニューヨーク>から通って、家族一丸となって
彼の介護にあたった。四六時中誰かがついて、彼を刺激し続けた。
すると「ジェイソン」に回復の兆しが!他人の問いかけに反応し、手を動かしたのだ。
闘病中に産まれた「ジェイソン」自身の子どもに会ったことでさらに刺激を受けたのか、
彼はさらに出来ることが日々増えていき、ついに、歩くことまで可能になった。
しかし今度は脳が感染症に冒され、脳の機能がリセットしてしまい、リハビリも一から
やりなおしに…治療費・入院費で家計はパンク寸前。
すると、「ジェイソン」の友人であるジャズシンガー「ノラ・ジョーンズ」が立ち上がり、チャリ
ティーコンサートを主催、なんと5万ドルもの寄付を集めてくれた。
家族は「ジェイソン」を自宅で、24時間、介護することを決断し病院を説得。自宅で
のリハビリが始まった。彼は驚異的な快復力を見せ、リハビリ再開から1年後、彼は
子どもを背負って散歩に出かけたり、自転車をこぐことまでできるようになった。
それだけではない。なんと、指先を動かして、ギターを弾き始めたのだ。
すると、そんな「ジェイソン」に『ライブをやってみないか』との誘いが。
またあの日のようにギターが弾けるかもしれない。そんな熱い思いが「ジェイソン」の心に
火を付け、彼はより過酷なリハビリに打ち込んだ。
2006年7月30日、ライブ当日。会場には多くのファンが詰めかけた。
彼は『自分の言葉』と『自分の歌』で全ての人への感謝の気持ちを披露。
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一度は死の淵まで見た男が、精一杯の声で必死に歌いギターをはじく。
彼はついに『奇跡の復活』を遂げたのだ。
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