11/01/03 OA
祝婚約! ウィリアム王子とケイト 愛の軌跡
1982年6月21日、イギリスの「チャールズ皇太子」と「故・ダイアナ元妃」の
第一子として誕生した「ウィリアム王子」。憧れのダイアナの息子ということも
あり、彼の成長はイギリス国民の関心事でもあった。しかし彼が15歳の時、
最愛の母が突然の交通事故で他界。国民は心に空いた穴を「ウィリアム王子」
で埋めようと彼に大きな期待を寄せるようになった。
そんな「ウィリアム」を巡り『王子様争奪戦』が白熱。当初、相手は上流階級の
お嬢様ばかりだったが、彼がが大学に入学したのを機に、一般の女性達にも
大きなチャンスが到来。
その1人が「ケイト・ミドルトン」であった。彼女は彼と同じ大学に入学し、彼と同じ
『美術史』を専攻し、さらに同大学内の『ファッションショー』で王子を悩殺。それが
功を奏したか、「ウィリアム」がアパート暮らしを始めると、「ケイト」は『ウィリアムの
ルームメイト』という栄冠を勝ちとった。
2人の交際は、カナダのスキー旅行で仲良くデートしている姿をパパラッチ
されたことで発覚。
『ウィリアムの恋人』として彼女の名前は世界中に知れ渡り、マスコミは『ロイヤル・
ウェディング』を期待。しかし、「ウィリアム」には『結婚』になかなか踏み切れない
理由があった。それは両親や親せきが離婚し、自分の結婚は絶対に失敗できない
というプレッシャーからであった。
2005年、2人が大学を卒業すると「ケイト」をとりまくパパラッチ戦争は激化した。
英国王室で庶民が王妃になるとしたら実に350年振り。「ケイト」は世間からの
注目の的になった。
しかし、そんな彼女の元にとんでもないスクープ写真が届くことに。それは、
「ウィリアム」が他の女性の胸をつかみ、ニンマリしている写真。最愛の人に
裏切られた「ケイト」の心は限界に達し、2007年、2人の破局が発表された。
以降、明け方までナイトクラブをはしごし、やけ酒を飲む「ウィリアム」。
別れて初めて気がついた、かけがえのない「ケイト」の存在。
すると「ウィリアム」は、自らが主催する母・ダイアナの10周忌追悼コンサートに
ケイトを招待した。そして1か月後、2人はセイシェル島へと旅行し復縁を果たした
のであった。
2010年11月16日、「ウィリアム王子」と「ケイト・ミドルトン」が婚約を発表。
「ケイト」の薬指に光る指輪は、母「ダイアナ元妃」の形見の指輪。2人の晴れの
日を母「ダイアナ」が見逃さないようにという「ウィリアム」のアイディアだった。
2人のロイヤル・ウェディングは、今年の4月29日に、「ダイアナ元妃」の葬儀が
行われた<ウェストミンスター寺院>で執り行われる予定。きっとダイアナも2人の
門出を祝福していることだろう。