第1419回 2018.04.01 |
江戸の長屋生活 の科学 | 物・その他 |
日本のさまざまな時代の生活を実際に体験して、そこに隠された科学を見つけ出す「目がテン!歴史研究会」。第6弾となる今回は、江戸っ子町人の暮らしにスポットを当てます。当時世界最大の都市、江戸に住む町人の7割以上が住んでいたといわれている長屋。落語や時代劇ではおなじみですが、そこには今こそ知りたい暮らしの知恵が!歴史体験プレゼンターの都丸紗也華さんが長屋のおかみさんに変身。物はなくとも、みんなで豊かに暮らす江戸っ子の暮らしには様々な科学的な工夫が!
今回の目がテン!は歴史研究会第6弾!「江戸の長屋生活」を科学します!
長屋ってどんな家?
江戸の長屋生活とはどんなものだったのか?今回都丸さんが訪れたのは、栃木県にある、江戸ワンダーランド。15万坪の広大な土地に江戸の街並みが忠実に再現されています。待っていてくれたのは、江戸時代を題材にした大河ドラマの時代考証を担当している大石学先生。先生によると、長屋に住む人々は、質素ながらも、限られた資源をみんなで分け合う幸せな生活を続けていくというライフスタイルを見出していたといいます。そこで、まずは当時の町人の服装にお着替え。当時の町人の身なりは、オシャレより機能重視!
髪は手間がかからない丸髷でまとめ、袖は邪魔にならないようたすき掛け。着物は地味で汚れが目立ちにくい柄で、汚れやすい部分には前掛けや、襟には黒い布もつけていました。町人たちは着物を何枚も持てるほど豊かではなかったため、1枚の着物を大事に長く着るための様々な工夫をしていたんです。
都丸さんは、この格好で長屋暮らしに挑戦。さらに酒井さんと、子供を2人加えて4人家族の設定で長屋暮らしを体験していきます。では、いよいよ長屋へ!町のどんなところに長屋はあったのでしょうか?江戸の表通りには、表店と呼ばれる商店が軒を連ねていました。長屋は、正確には裏長屋といい、この表店の裏に建てられていたんです。
早速路地を入ってみると長屋の入り口に木戸が。木戸には誰が住んでいるのかわかるように住人の名札がかけられていたそうです。続いて長屋の中を見てみると…思った以上に狭い!町人が住んでいた一般的な長屋は棟割長屋。1つの長い平屋を九尺二間、6畳ずつ壁で区切ってあります。
この狭い空間に家族4人が暮らすのは普通だったようですが、なぜ長屋はこんなにも狭く区切ってあるのでしょうか?実は、江戸時代は身分によって住むエリアが決まっていました。人口、武士65万人に対し、町人も60万人。しかし、町人地は武家地のおよそ5分の1しかなかったんです。そのため、棟割長屋のような狭い家に密集して住むスタイルになったんです。
家賃は月1万円という激安物件・・・壁が薄いのでお隣さんの声が筒抜け。しかし先生によると、当時はそれによってどういう生活をしているかわかり、異変がすぐわかるという防犯にもなったそうです。
でもこの長屋を見て1つ疑問が。江戸時代は立派な武家屋敷や大名屋敷もあり建築技術は進んでいたはず。なぜ長屋は壁が薄く簡単な作りだったんでしょうか?それは、江戸では火事は日常茶飯事だったことがあげられます。町人の家は燃えた後、すぐに建てられるものでなくてはなりませんでした。さらに、水が不足していた江戸の消火方法は、建物を壊して火事が広がるのを防ぐ破壊消火。火事を防ぐ上で長屋は壊しやすくしておく方がよかったんです。江戸時代の長屋はあえて壊しやすく作ることで、江戸の町全体を火事から守るという意味があったんです。
長屋での暮らし方って?
長屋の奥を見てみると、何やら広いスペースがありました。ここは長屋の住人が自由に使うことのできる共同のスペース。そこにあったのは共同トイレ。汲み取り式の共同トイレにも驚きの暮らしの知恵が。江戸時代は、この排泄物は下肥と言われ、実は売っていたんです。下肥は優れた畑の肥料になるため、専門業者が長屋まで来て高値で買取っていました。買取金額は7人住まいで年間なんと約80万円になる長屋あったとか。
下肥を農村から都会に業者が買いに来て、それを農家が畑に撒いて野菜を育て、その野菜をまた都会の人が食べるというサイクルができていたんです。
続いて、トイレの隣にあったのは井戸。住人たちの生活用水はすべてこの井戸で賄われていました。井戸端会議と言いますが、自然と住人が集まる井戸端はコミュニケーションの場になっていたんです。
長屋の住人たちは、もちろん井戸の水を使って洗濯をしていましたが、ここで疑問。洗濯用の洗剤がない江戸時代、何を使って洗濯物を洗っていたんでしょうか?そこで用意したのは、江戸時代の長屋で使われていた様々な生活用品。都丸さんには、この中から江戸時代の洗濯洗剤を見つけ出し、洗濯物を洗ってもらいます。どうしてもわからないときは、ギブアップボタンを押せば、先生が助けに来てくれます。
それでは、チャレンジスタート!まずいつものように匂いを嗅いですべての物を確かめる都丸さん。その中から当時の洗剤として選んだものは、お茶とかまどの灰。抗菌作用のあるお茶と、かまどの灰を混ぜて洗剤にしたと考えたようです。しかし取り返しがつかないほど汚してしまいました。もう挽回できそうもないので、ここでストップ!先生が、正解を教えてくれました。正解は灰。都丸さん、お茶と混ぜなければ正解だったんです。
洗い方は簡単。灰と水を混ぜた水溶液が、そのまま洗剤になります。あとは灰の上澄み液の中で洗濯物をもみ洗いするだけ。
でも、一体なぜ灰が洗剤の代わりになるのでしょうか?専門家に聞いてみると、「灰は水を加えるとアルカリ性になります。アルカリ性の水溶液は、衣類に付着している皮脂や垢などの油分・タンパク質の汚れを分解しやすくする効果があるから」だそうです。実際にpH試験紙を、灰の水溶液につけてみるとアルカリ性を示す青色に変化しました。
そこで検証。油汚れがついた布を用意。灰の水溶液で実際に洗ってみることに。5分間もみ洗いした後、綺麗な水ですすぐと汚れていた場所が分からなくなるぐらい、しっかり汚れが落ちていたんです。
江戸の町人は、かまどの灰を洗濯に再利用して無駄なく汚れを落としていたんです!
長屋のお風呂と料理
江戸時代のお風呂を体験!鹿児島県・指宿市にある旅館に、江戸時代の銭湯が再現されていて、体験させていただくことに。すると!都丸さん、お湯がないことに気づきました。そう、江戸時代は後期になるまで銭湯に湯船はありませんでした。ざくろ口と呼ばれる、背の低い入り口から浴室に入り、焼け石に水をかけて発生させた蒸気を浴びる、蒸し風呂だったんです。
都丸さんも、再現された江戸の蒸し風呂を体験!けれど、見てみると浴室の温度は36度。体温程度の低い温度で体が温まるんでしょうか?しかし、しばらく入っていると、5分間入浴しただけで、汗が噴き出してきました。
そこで、体がどれくらい温まったのか?入浴後にサーモグラフィーで計測。入浴前に比べ、入浴後はかなり体が温まっているのがわかります。さらに、そのまま15分が経過しても体の表面温度はあまり下がりません。蒸気浴は、湿度が高く、汗が蒸発しにくいため、効率的に体を温めらることができたのです。
水や薪が貴重な江戸では、蒸し風呂にすることで少しの水で体を温める工夫をしていたんです。
入浴後、すでに夕ご飯の準備をする時間に。長屋に野菜の振り売り商人がやってきました。江戸時代の長屋には、ありとあらゆるものをデリバリーしてくれる振り売り商人がいたため、長屋の女将さんは、街に買い物にいく必要がほとんどなかったそうなんです。
振り売り商人から買った食材で作る一般的な夕食は、白米と味噌汁に野菜中心のお惣菜だけ。
当時は、一汁一菜が基本だったんです。実際に食べてみると、「米が冷たい」「米硬い」という感想が!江戸時代の長屋は、薪を節約するため、ご飯は朝一回しか炊かず、昼と夜は冷や飯だったんです。また、おかずが少ないため、町人たちは1日に5合もの白米を食べていたと言います。この食事で栄養は足りていたのでしょうか?専門家によると、「白米の割合が多くて、他の食材をとる割合が少ないので、ビタミンB1が不足し、脚気になる可能性が高い」というんです。
事実、江戸では白米中心の食生活のせいで、足がしびれ、最悪の場合、心不全を起こす「脚気」が蔓延しました。しかし、江戸中期以降、外食産業も発達。屋台などの食事で、足りない栄養を補えるようになったとも考えられています。
夕食もそろそろおしまい。都丸さんがたくあんに手をつけると、先生からストップが。実は食事の最後に、お茶碗にお湯を注ぎ、たくあんでご飯粒を洗いながら食べるのが長屋の作法。水を大事にする江戸時代、食器を毎回、水では洗わず食べながら綺麗にして、それぞれのお膳にしまっていたんです。
江戸の長屋の夜もふけて、恒例の眠り方に挑戦!当時の寝具は、敷布団とドテラを長くしたような「かい巻き」という掛け布団。長屋は狭いので、布団は4人で2組しか敷けません。今まで数々の過酷な眠り方に挑戦し、眠ることが出来なかった都丸さん。果たして、今度こそ眠れるのか?
子供達は、すっかり眠ってしまいましたが、都丸さんはギブアップ!今回、眠れなかったのは、都丸さんだけでした。