名作「ローマの休日」の大スキャンダル! ハリウッドに最も嫌われた男の正体とは!?
「ローマの休日」は、1953年公開(アメリカ公開年)ですが、当時はすでにカラー映画が主流となっていました。 しかし、なぜかこの映画は白黒なんです。 実は、ある理由があって白黒にしたんですが、その理由とはなんでしょう?
正解は…お金がなかったから
カラーフィルムでの撮影は非常にお金がかかりました。 ところがローマの休日は、監督の希望で、お金のかかる全編イタリアロケとなり、予算がなかったのです。
冷戦時代に共産主義者を追放する運動、赤狩りによってハリウッドを 追放されたトランボは偽名を使うことで再びハリウッドで脚本を書けるようになりました。 しかし、ある出来事がきっかけとなって正体がバレそうになってしまいます。 それはどんな出来事でしょうか?
正解は…偽名で書いた作品が再びアカデミー賞にノミネートされた
友人のイアン・マクレラン・ハンターに託した 「ローマの休日」でアカデミー賞原案賞を受賞したトランボは 複数の偽名で脚本を書き続けました。 そしてロバート・リッチという偽名を使って書いた 「黒い牡牛」という映画が再びアカデミー賞原案賞を受賞したのです。 しかし偽名で書いたためロバート・リッチという人物は存在せず、 謎の脚本家ロバート・リッチの正体はダルトン・トランボではないかと 疑われてしまったのです。