人口約190万人の岡山県。県庁所在地の岡山市は政令指定都市に制定され、日本三名園の一つ後楽園や、天守閣が黒い板張りで特徴的なことから「烏城」と言われる岡山城は観光名所です。その岡山市の中心から東に車で40分ほどの郊外に学校がある岡山学芸館。学校からさらに東へ15分ほど、瀬戸内市に普段練習をしているグラウンドがあります。
3大会連続6回目の出場で前回王者として挑む初戦は、12月31日の2回戦。今大会の優勝候補、福島・尚志と対戦します。
■岡山が生んだ全国王者
前回大会で岡山県勢として初優勝した岡山学芸館。重い歴史の扉を開けたチームを祝おうと、1月中旬に岡山市中心部の商店街で行われた優勝パレードには約2000人が駆け付けました。さらに2月初めにチームの地元である西大寺地区でもパレードが行われました。
お祝いムードと新チームの始動が重なった県新人戦。体調不良者も出ていた中で迎えた準決勝では作陽(現:作陽学園)に0-1で敗戦。3位決定戦でも就実に0-1で敗れ、10年以上続いた中国大会進出を逃します。
所属する中国プリンスリーグでも6節まで1勝2分け3敗と大きく負け越します。この時期をキャプテン田口裕真選手は「最悪の状態だった。挨拶や、ごみが落ちていても拾わないなどチームとしての隙が多かった」と振り返ります。チームは基本的なことから大事にしようと全体ミーティングで話し合い徐々に変化していきます。
6月の県総体は準決勝の県立玉野光南戦に後半アディショナルタイムで追いつき、その後PK戦で勝利するなどして優勝。インターハイに出場します。インターハイでは3回戦で敗れたものの、新人戦のころとは違う成長した姿を見せました。
夏休みの遠征で多くの強豪校と対戦しレベルアップを図っていた8月末、チームを襲ったのがキャプテン田口選手の怪我でした。まとまり始めたチームがまたもバラバラになるかと思われた時期でしたが、高原良明監督は、全国制覇をピッチレベルで知るMF木下瑠己選手やMF田邉望選手、FW木村奏人選手の存在、1年生ながら試合に出場するMF万代大和選手など下級生の台頭で良い競争ができたと語ります。
田口選手は選手権県大会初戦で復帰。復帰戦となった試合は約10分間の途中出場でした。その試合について「試合に出場したいと身体がうずうずしていた。試合はとにかく楽しくて、やはりサッカーは楽しい」と話しました。そして県大会決勝でもゴールの起点になりました。決勝戦試合終了のホイッスルが吹かれた瞬間、田口選手は、空に両手を広げ直後に地面に手をつき喜びを表現しました。
過去に岡山県のチームで誰もしたことがない経験やプレッシャーと向き合ってきたチーム。全国大会に前回王者として凱旋します。
■陽気なキャプテンを支えた寮長
今年のキャプテン田口選手は、キャプテンとしてチームをまとめられない時期がありました。支えとなったのは寮のリーダー、寮長の國本心夢選手です。
國本選手は兵庫県の出身。兄の希来さんが岡山学芸館のサッカー部出身だったことから進学しました。しかし入学してすぐ周りとのレベルの差を痛感。その後は半年間プレーできないケガも経験しましたが、今はBチームのキャプテンを務め、先生から真面目な姿など性格面が評価され寮長に選ばれました。寮長は野球部と一緒に120人が生活する寮での連絡や生活面でまとめる存在です。その國本選手は田口選手と1年生の時から仲が良く、食堂での食事はいつも一緒、夜にはチームについての話し合いもしてきました。
國本選手は田口選手について、「田口がふざけすぎたときはキャプテンとしてそれはいけないと厳しく指摘した。ただチームの状態が悪いときも田口自身がチームのために行動してくれたことでチームの状態も良くなった。」と話します。
この1年チームをまとめてきた田口選手と國本選手。2人の関係性で築き上げたチームは再び憧れの国立競技場を目指して。初戦は今大会の優勝候補でタレント軍団の福島・尚志とぶつかります。
(取材・文:高校サッカー選手権民放43社/西日本放送)
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