新横浜ラーメン博物館の出店秘話 100回通っても誘致できなかった人気店を口説き落とした方法とは?
12月13日(木) 日本テレビ系で放送の「THE 突破ファイル」では、神奈川県横浜市にある新横浜ラーメン博物館の館長が、難攻不落といわれた北海道・札幌の人気ラーメン店を執念とアイデアで口説き落とし、前代未聞のプロジェクトを成功させた実話を再現ドラマで紹介した。
再現ドラマでは、館長・岩岡洋志氏役を俳優の内田朝陽が、ラーメン店主の村中伸宣氏を波岡一喜が演じた。
■昼夜問わず通い続け、店主も気に留めるも…
空前のラーメンブームだった90年代前半。全国のご当地ラーメンが集まるテーマパーク・新横浜ラーメン博物館のプロジェクトを主導した岩岡氏。大学の後輩五人とプロジェクトを立ち上げ、すでに一風堂や六角家など数々の名店が並ぶことが決まっていた。その時岩岡氏は、札幌でラーメン店「純連(すみれ)」と出会う。
その味に感動した岩岡氏は、店主の村中氏に新横浜ラーメン博物館への出店をお願いするが「興味ないですね」と一刀両断。
しかし岩岡氏は「絶対にこの味がラーメン博物館に必要だ」と足繁く、東京から北海道まで純連(すみれ)に通い続けた。札幌に滞在中、昼夜問わず愚直にただひたすら通い続ける岩岡氏。その姿を店主の村中氏も気に留めるが、「家族経営のこの味を広めたくないから出店はできない」と断固拒否。
岩岡はそれでもあきらめず、絶対どこかに村中の心を動かす糸口があるはずだ。と、さまざまな作戦を決行する。競馬場で仲良くなろうとしたり、博物館の模型を持ってきたり、80回目の訪問では、ライバルとなる六角家の店主をも連れて訪問し、「一緒に横浜で戦いましょう」と伝えたりもした。
こうして純連(すみれ)に通いつづけて2年。オープンまでのタイムリミットが近づく中、ついに村中氏より「ラーメン博物館に出店して勝負をしてみたい」と電話が。しかし電話があって向かってみると「出店の話は取り消したい」と告げられてしまう。理由は会う前日、父から「わしとお母さんが作った味でお前の独断は許さない」と猛反対を受けたからという。村中氏は泣きながら詫び続けた…。
■ついに出店が実現!そのために事前に…
純連(すみれ)の出店は絶望的かと思われたが、そんな中、岩岡氏はある突破方法を考え出した。
それは、ラーメン博物館に純連(すみれ)をイメージした店舗を作っておき、村中が出店できるようになるまで待ち続けるということ。「村中さんの事情がクリアになって気持ちよく来てくれるまで、僕は待ち続けます。気が向いたらいつでも来てください」岩岡氏はそう言って村中氏に店舗のイメージ図を渡した。
そしてラーメン博物館のオープン7ヶ月前。着々とできあがる博物館に村中氏の姿が。驚く岩岡氏に「親の反対を押し切って出店する。純連の名前は使えないから、ひらがなですみれの看板で出店させてくれ」と伝えた。
村中氏の作るラーメンに恋い焦がれ、札幌に通い詰め、そして待ち続けた岩岡氏の思いが店舗の名前を変えつつもついに実ることに。1994年3月、ラーメン博物館がオープンするとすみれは3時間待ちの行列ができる大盛況。そして25年たった今も、多くのファンに愛され続けている。
※すみれは12月2日にラーメン博物館を卒業しました。