ロドリーゴ作曲
《アランフェス協奏曲》
今月のソリストは、今注目の若手新鋭ギタリスト、村治奏一さん。お父様、お姉様(村治佳織)もギタリストという環境の下で育ったという、1982年生まれの26歳です。幼少の頃、お父様にギターの手ほどきを受け、学生コンクールから国際コンクールまで多くの賞を受賞。ニューヨークのマンハッタン音楽院を卒業し、現在はニューヨークを拠点に世界中で活躍されています。
村治:最初は、おもちゃ代わりとしてギターを与えられていたんです。だから気が付いた
時にはもうギターが生活の一部になっていた、というかんじ。楽器も、6分の1という
子供用の小さいサイズがあるんです。
古市:藤岡さんは、お姉さんの村治佳織さんとも共演されているそうでね。
藤岡:そうですね、アランフェスを今まで3回か4回か。
古市:やっぱり兄弟だな〜と思うところってありますか?
藤岡:ものすごい、魂がしっかりしてる。なんか、“あやふや”なところがない。音楽に
清潔感がある、っていうか・・・。品がありますよね。
村治:姉がフランスに留学したんですけど、ちょうど帰ってくるぐらいに僕がアメリカに行ったんですよね。だから、一緒に生活する
時間が最近ずっとなくて、レパートリーもついた先生も違いますが・・・。昔は、演奏について姉に意見を聞きに行くと、大抵
喧嘩になったので、あんまりしてなかったんですけど。最近は本番前に聴いてもらったりとか、共演する機会も増えてきて
いるので、一緒にリハーサルしたりしています。今はさすがに喧嘩はないですね。僕が和声進行のことを話して、姉が
感情的なことを話してくれたり、とか。だから、全然違う情報を言い合っています。
藤岡:そういうの、面白そうですよね。男性女性だけでも全然違うと思うけれども、
逆に言えば、全然違う考え方や感じ方を話し合える、ってすごくプラスになって
素敵なことだと思います。
古市:本日の、「アランフェス協奏曲」の聴き所を教えてください。
村治:実際に、アランフェス宮殿というのがスペインにあって、それにロドリーゴが
感銘を受けて作曲したと言われています。去年ちょうど、その宮殿を見に
行ったんですけど、その頃(16〜18世紀)は、スペインの王族と市民たちの
間で特に交流が深かった時代らしく、庶民的な部屋もあれば高貴な部屋も
ありました。曲を見ると本当に、すごく崇高なメロディもあれば、親しみやすいセクションもあって。ギターって、直接自分の爪で
はじく楽器なので、いろんな音が出せるんですけど、その良さを、フルに発揮できる楽曲だと思います。
藤岡:僕がこの曲を指揮するときいつも思うのは、この作品が書かれた時、スペイン戦争があり大勢の人が亡くなったんですよね。
ロドリーゴは自分の息子さんも亡くしていて、奥さんも重い病気になって・・・そういう中で書かれたのが、この2楽章なんです。
ものすごい悲しみがロドリーゴの中にあるんだけれども、スペインの太陽は優しくスペインの人たちを照らし続けて、スペインは
スペインのまま、スペインであり続けて欲しい、っていう。ものすごい“スペインへの愛”があるんですよね。
シベリウス作曲
《交響曲第5番》
2曲目は、藤岡幸夫さんの「世の中で一番好きな曲」、シベリウスの交響曲第5番。日本を代表する大指揮者、故渡邊暁雄の最後の愛弟子であった藤岡さんは、師匠が大好きだったシベリウスの作品を勉強し、徐々に理解していき、今ではこの曲が世の中で一番好きなのだそうです。少し前までは、好きすぎて指揮するのが恐いくらいだった、と作品に対する強い想いを語ってくれました。
故 渡邊暁雄
提供:日本フィルハーモニー
古市:古市:藤岡さんにとってこの曲はどんな曲ですか?
藤岡:世の中で一番好きな曲ですね!
僕は、渡邉暁雄先生が亡くなる前の最後の5年間、ずーっと内弟子だったんです。毎日寝食共に
するようにして、ものすごくかわいがってくださって。そして、先生が癌になった時にご自分で、次の
年にシベリウスの4番5番、というプログラムを組んだんです。〈4番〉はシベリウスが癌になった時に
書かれて、〈5番〉はその癌を克服した時に書いた曲なんですよ。で、ご自分も癌だと分かって、でも
どうしても振りたいと。結局お振りになれなかったんですが。ただ、僕はそのとき、全然この曲の
良さを分かってなかった。そして、ヨーロッパに留学するようになって勉強し直したら、本当に
素晴らしい曲だ!と思って。それから、本当に好きで好きで、のめり込んでいって、逆に指揮するの
が恐くて、全然指揮したことなかったんです、しばらく。いろんな思いが強すぎて、選ばなかったんですよね、僕自身も。
古市:知れば知るほど好きになった、この曲のポイントとはどういう所なのでしょうか?
藤岡:この曲には、シベリウスのいろんな思いが強烈にこもっているんです。この曲が
最初書かれた時は、第1次世界大戦前で、世の中はものすごく不安な状況でした。
それから、シベリウスは自分が癌で、もう死ぬと思っていたんです。それがやっと
治ったけどまた再発するんじゃないか、という死に対する恐怖。もういろんなものが
混ざっているんですよ。
で、最初第1次世界大戦前に書かれて、1度演奏されてるんですが、それは
破棄されて、第1次世界大戦も終わり、フィンランドも独立し、病気も完璧に回復した
後に、もう一回書き直されてるんですよ。 シベリウス自身の言葉で言うと「狂喜」。
狂うばかりの喜びね。あと、死の恐怖を知った人の“深い優しさ”みたいなのもあるし。
最終楽章も本当に“自然への愛”があって。シベリウス自身がいろんなことを言って
るわけ。例えばこの曲の冒頭は、『朝靄に陽光が差し込むような・・・』と。それから、
『ある朝16羽の白鳥が空を旋回していてそこに朝日が差し込み、皆朝日の中へ
飛んで行ったのが、1本の銀色のリボンに見えた』というシベリウス自身が今までに
見た最も美しい光景、があるんだけど。その光景が終楽章の最後に出てくるん
です。そこは、弦楽器が、ミュート(消音機)をつけてフォルテで切なく歌ってさ、
遠くでトランペットのメロディ(白鳥)が飛んでる姿が見えるんだよね。それが、
ものすごく高貴な気品ある姿だった、と書いてあるんです。スコアにも、メロディを
吹く金管楽器に「ノービレnobile」って書いてあるんですよ。「高貴に」という意味。
非常に珍しい書き込みなんですけども。
古市:興味深い曲ですね・・・!
藤岡:そう。でも本当に美しい曲ですよ。取っつきにくいとこもあるかもしれないですが。
シベリウスという人は、昔若い頃ものすごい酒飲みで浪費家で、経済破綻したんです。それに、留学先で飲んで暴動起こして
牢屋に入れられちゃったり。でもその反面、ものすごく優しい人だった。そういう血気盛んな人間が、一度死の淵を歩き、
死の恐怖に向かって、そして本当に自然を愛して。そういう人がこういう曲を書いてる時って、人がおそらく変わってるんで
しょうね。だからこそ余計、味がある、というか・・・。
《アランフェス協奏曲》
今月のソリストは、今注目の若手新鋭ギタリスト、村治奏一さん。お父様、お姉様(村治佳織)もギタリストという環境の下で育ったという、1982年生まれの26歳です。幼少の頃、お父様にギターの手ほどきを受け、学生コンクールから国際コンクールまで多くの賞を受賞。ニューヨークのマンハッタン音楽院を卒業し、現在はニューヨークを拠点に世界中で活躍されています。
ギタリスト 村治奏一 × 指揮者 藤岡幸夫 × 日テレアナウンサー 古市幸子
古市:お父様もお姉様もギタリスト、という環境の中で、もう自然とギタリストを目指されるように・・・?村治:最初は、おもちゃ代わりとしてギターを与えられていたんです。だから気が付いた
時にはもうギターが生活の一部になっていた、というかんじ。楽器も、6分の1という
子供用の小さいサイズがあるんです。
古市:藤岡さんは、お姉さんの村治佳織さんとも共演されているそうでね。
藤岡:そうですね、アランフェスを今まで3回か4回か。
古市:やっぱり兄弟だな〜と思うところってありますか?
藤岡:ものすごい、魂がしっかりしてる。なんか、“あやふや”なところがない。音楽に
清潔感がある、っていうか・・・。品がありますよね。
村治:姉がフランスに留学したんですけど、ちょうど帰ってくるぐらいに僕がアメリカに行ったんですよね。だから、一緒に生活する
時間が最近ずっとなくて、レパートリーもついた先生も違いますが・・・。昔は、演奏について姉に意見を聞きに行くと、大抵
喧嘩になったので、あんまりしてなかったんですけど。最近は本番前に聴いてもらったりとか、共演する機会も増えてきて
いるので、一緒にリハーサルしたりしています。今はさすがに喧嘩はないですね。僕が和声進行のことを話して、姉が
感情的なことを話してくれたり、とか。だから、全然違う情報を言い合っています。
藤岡:そういうの、面白そうですよね。男性女性だけでも全然違うと思うけれども、
逆に言えば、全然違う考え方や感じ方を話し合える、ってすごくプラスになって
素敵なことだと思います。
古市:本日の、「アランフェス協奏曲」の聴き所を教えてください。
村治:実際に、アランフェス宮殿というのがスペインにあって、それにロドリーゴが
感銘を受けて作曲したと言われています。去年ちょうど、その宮殿を見に
行ったんですけど、その頃(16〜18世紀)は、スペインの王族と市民たちの
間で特に交流が深かった時代らしく、庶民的な部屋もあれば高貴な部屋も
ありました。曲を見ると本当に、すごく崇高なメロディもあれば、親しみやすいセクションもあって。ギターって、直接自分の爪で
はじく楽器なので、いろんな音が出せるんですけど、その良さを、フルに発揮できる楽曲だと思います。
藤岡:僕がこの曲を指揮するときいつも思うのは、この作品が書かれた時、スペイン戦争があり大勢の人が亡くなったんですよね。
ロドリーゴは自分の息子さんも亡くしていて、奥さんも重い病気になって・・・そういう中で書かれたのが、この2楽章なんです。
ものすごい悲しみがロドリーゴの中にあるんだけれども、スペインの太陽は優しくスペインの人たちを照らし続けて、スペインは
スペインのまま、スペインであり続けて欲しい、っていう。ものすごい“スペインへの愛”があるんですよね。
シベリウス作曲
《交響曲第5番》
2曲目は、藤岡幸夫さんの「世の中で一番好きな曲」、シベリウスの交響曲第5番。日本を代表する大指揮者、故渡邊暁雄の最後の愛弟子であった藤岡さんは、師匠が大好きだったシベリウスの作品を勉強し、徐々に理解していき、今ではこの曲が世の中で一番好きなのだそうです。少し前までは、好きすぎて指揮するのが恐いくらいだった、と作品に対する強い想いを語ってくれました。
故 渡邊暁雄
提供:日本フィルハーモニー
古市:古市:藤岡さんにとってこの曲はどんな曲ですか?
藤岡:世の中で一番好きな曲ですね!
僕は、渡邉暁雄先生が亡くなる前の最後の5年間、ずーっと内弟子だったんです。毎日寝食共に
するようにして、ものすごくかわいがってくださって。そして、先生が癌になった時にご自分で、次の
年にシベリウスの4番5番、というプログラムを組んだんです。〈4番〉はシベリウスが癌になった時に
書かれて、〈5番〉はその癌を克服した時に書いた曲なんですよ。で、ご自分も癌だと分かって、でも
どうしても振りたいと。結局お振りになれなかったんですが。ただ、僕はそのとき、全然この曲の
良さを分かってなかった。そして、ヨーロッパに留学するようになって勉強し直したら、本当に
素晴らしい曲だ!と思って。それから、本当に好きで好きで、のめり込んでいって、逆に指揮するの
が恐くて、全然指揮したことなかったんです、しばらく。いろんな思いが強すぎて、選ばなかったんですよね、僕自身も。
古市:知れば知るほど好きになった、この曲のポイントとはどういう所なのでしょうか?
藤岡:この曲には、シベリウスのいろんな思いが強烈にこもっているんです。この曲が
最初書かれた時は、第1次世界大戦前で、世の中はものすごく不安な状況でした。
それから、シベリウスは自分が癌で、もう死ぬと思っていたんです。それがやっと
治ったけどまた再発するんじゃないか、という死に対する恐怖。もういろんなものが
混ざっているんですよ。
で、最初第1次世界大戦前に書かれて、1度演奏されてるんですが、それは
破棄されて、第1次世界大戦も終わり、フィンランドも独立し、病気も完璧に回復した
後に、もう一回書き直されてるんですよ。 シベリウス自身の言葉で言うと「狂喜」。
狂うばかりの喜びね。あと、死の恐怖を知った人の“深い優しさ”みたいなのもあるし。
最終楽章も本当に“自然への愛”があって。シベリウス自身がいろんなことを言って
るわけ。例えばこの曲の冒頭は、『朝靄に陽光が差し込むような・・・』と。それから、
『ある朝16羽の白鳥が空を旋回していてそこに朝日が差し込み、皆朝日の中へ
飛んで行ったのが、1本の銀色のリボンに見えた』というシベリウス自身が今までに
見た最も美しい光景、があるんだけど。その光景が終楽章の最後に出てくるん
です。そこは、弦楽器が、ミュート(消音機)をつけてフォルテで切なく歌ってさ、
遠くでトランペットのメロディ(白鳥)が飛んでる姿が見えるんだよね。それが、
ものすごく高貴な気品ある姿だった、と書いてあるんです。スコアにも、メロディを
吹く金管楽器に「ノービレnobile」って書いてあるんですよ。「高貴に」という意味。
非常に珍しい書き込みなんですけども。
古市:興味深い曲ですね・・・!
藤岡:そう。でも本当に美しい曲ですよ。取っつきにくいとこもあるかもしれないですが。
シベリウスという人は、昔若い頃ものすごい酒飲みで浪費家で、経済破綻したんです。それに、留学先で飲んで暴動起こして
牢屋に入れられちゃったり。でもその反面、ものすごく優しい人だった。そういう血気盛んな人間が、一度死の淵を歩き、
死の恐怖に向かって、そして本当に自然を愛して。そういう人がこういう曲を書いてる時って、人がおそらく変わってるんで
しょうね。だからこそ余計、味がある、というか・・・。