横坂 源
♪ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
今注目の若手チェリスト、横坂源さんの登場です!
現在、留学先のドイツ・シュトゥットガルト国立音楽大学に通われていらっしゃいます。
お話を伺ってみました。
現在、留学先のドイツ・シュトゥットガルト国立音楽大学に通われていらっしゃいます。
お話を伺ってみました。
〜 古市幸子 × 横坂源 〜
古市:ドイツでの留学生活はいかがですか。
横坂:日本のときの学校生活とはまた違って、建物がまず違いますね。
学校から歩いて3分のところにオペラを見に行けるところがあったり。
チェロをやっていくには良い環境だな、と思っています。
古市:もともと、チェロを始められたきっかけは?
横坂:4歳の頃なんですけど、父親が音楽学を教えていて、その生徒さん
たちが室内楽のコンサートをしていた時、チェロのお兄さんがすごく
カッコ良かったんですね。その後自宅に皆さんが来た時、彼が
ウルトラマン人形で遊んで下さって。やっぱり“憧れ”が強かったんですかね、僕もあの大きいのがやりたい、と言ったのが
きっかけで、チェロを始めました。
あったんですよね?毛利先生は、横坂さんにとって、
どんな先生でしたか?
横坂:とにかく初めて行ったレッスンが、すごく楽しくて、あっという間に
終わってしまって。堅苦しいことよりも、どうやって音楽を楽しんで
作っていくか、という方から教えてもらったので、すごく楽しく学校生活と
一緒に過ごしていました。先生は室内楽もたくさんコンサートを
やられていて、よく見に行くんですが、そこから学ぶことも多いんです。
3、4人で演奏するんですが、やっぱり、先生が基盤になって、1つの
音楽をすごく楽しそうに作っていて、ああゆう風になれたらいいな、
と思います。
古市:確かに、毛利さんはいつも、楽しそうに演奏されますよね。今日は、
リハーサルを見ていたら、いつもの楽しそうな毛利さんプラス、ちょっと
横坂さんのことを気にして、お父さんのようにも見えました。ソロの部分
など、すごく頷きながら聴いてらっしゃったように見えたんですけど・・・。
横坂:本当ですか!? 嬉しいです・・・。
古市:今日はチェロ協奏曲の王者、「ドヴォルザークのチェロ協奏曲」を
演奏していただきますが、これは、横坂さんにとってどんな曲でしょうか?
横坂:コンチェルトの中でも、一番多く弾いている曲です。有名な曲だから多くの
お客様にすごく馴染みがあると思うので、どういうふうに自分が感じたことを
素直に大きく出せるか、という点が一番難しいところですね。そして挑戦し甲斐の
ある所でもあります。普段はどうしても、ソロパートの自分の音しか聴かずに
練習していますが、そうじゃなくて、やっぱり、1対何十(オーケストラ)だけでは
なくて、全部で一緒に(一番後ろの席のお客様まで)1つの音楽で持っていけたら
いいな、と思っています。
♪ハイドン:交響曲第45番〈告別〉
続いては、指揮者・小林研一郎さんをお迎えし、今年生誕200周年の作曲家ハイドンの交響曲「告別」についてお話を伺いました。
〜 古市幸子 × 小林研一郎 〜
古市:ハイドン〈告別〉とはどういう作品なんでしょうか?
小林:この〈告別〉は、曲の最後でオーケストラ奏者が一人ずついなくなって
いく、という面白い演出がついています。ハイドンが仕えていた
エステルハージ侯爵が、なかなか休暇をくれないので、なんとか一計を
講じようと、一人ずつ、譜面台のろうそくを消して去っていったんです。
そして皆がいなくなる最後に、指揮者とヴィオラとヴァイオリン1st、2ndの
4人の方が残る、という設定にしたら、エステルハージ侯爵が、分かった、
といって休暇をくださることになったそうですけど。
古市:なかなか遠まわしな伝え方をしたんですね!休みをくれ!ということを。
小林:僕は、今日2回目なんですね、この曲を指揮するのが。1回目が30年も
前なんですけど、フィレンツェのオーケストラで、これを指揮しました。それは、
教会の中でして、教会の中というのは温度が低いんですね。その日、外は太陽の
光が強かったものですから、水をがぶ飲みして、それで教会の中に入ったら
7、8℃温度が違うんですね、外と。そして、曲が始まった。僕35年間指揮をして
おりますが、それ1回だけ、急にトイレに駆け込みたくなって・・・。
古市:えっ!?指揮をされている最中にですか!?
小林:はい、最中に。それも1楽章から。で、2楽章は必死に耐えた、
3楽章も耐えてたんですけども、4楽章の例の最初の方がステージから消えようとする前に、もうガマンが出来なくなって、
僕は1番先にステージから逃げたんです・・・。
古市:!!!もともと演出は・・・指揮者は最初じゃないですよね?
小林:指揮者は出ちゃいけないんですね。指揮者は最後まで残っている、という設定なんですけど、とにかく最初に逃げて・・・、と、
そういうエピソードがあります。あとで団員達に「マエストロ、結構シャレたことするね」と言われ、僕の緊急事態はご存知
なかったようで良かったと思いました。
古市:マエストロの斬新な演出だと、解釈されたんですね!
じゃあ、今日2回目の指揮というわけなんですが、今回はどのタイミングにマエストロは??
小林:・・・お楽しみください。
演奏前に意味深な言葉を残されたマエストロ。
本番では、38小節目(最初に立ち去る奏者とほぼ同時)に、立ち去っていました。
本番では、38小節目(最初に立ち去る奏者とほぼ同時)に、立ち去っていました。
4楽章途中、アダージョに突入。
全員演奏しています。
全員演奏しています。
56小節目・・・・
管楽器は全員去っていきます。
管楽器は全員去っていきます。
86小節目・・・・
チェロも去ってしまいました。
チェロも去ってしまいました。
96小節目・・・・
とうとう2人に。
とうとう2人に。
♪チャイコフスキー:祝典序曲〈1812年〉
最後は、大砲の音が鳴り響くこの作品。
ナポレオンの全盛時代は、1789年のフランス革命から1812年まで続くが、ロシアへ侵攻するものの、結果的に大敗北をこうむる。この曲は、その時のロシア軍の勇戦ぶりと、ナポレオンの敗北を描いたもので、戦争で焼失したモスクワ中央大寺院の再建祝いとして1882年に書かれた。
大砲の音を模した大太鼓の部分は、初演では本物の大砲を撃った、と言われている。舞台下手、大砲役の大太鼓は、ティンパニー隣にある普段使う大太鼓よりも、はるかに大きいことが見て分かる。
ナポレオンの全盛時代は、1789年のフランス革命から1812年まで続くが、ロシアへ侵攻するものの、結果的に大敗北をこうむる。この曲は、その時のロシア軍の勇戦ぶりと、ナポレオンの敗北を描いたもので、戦争で焼失したモスクワ中央大寺院の再建祝いとして1882年に書かれた。
大砲の音を模した大太鼓の部分は、初演では本物の大砲を撃った、と言われている。舞台下手、大砲役の大太鼓は、ティンパニー隣にある普段使う大太鼓よりも、はるかに大きいことが見て分かる。