12月2日(水)深夜2:49〜3:49

指 揮 小林研一郎
チェロ 横坂 源
管弦楽 読売日本交響楽団
司 会 古市幸子(日本テレビアナウンサー)

ドヴォルザーク作曲:
チェロ協奏曲

ハイドン作曲:
交響曲第45番「告別」

チャイコフスキー作曲:
祝典序曲「1812年」

※2009年9月8日 昭和女子大学人見記念講堂にて収録



横坂 源

♪ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

今注目の若手チェリスト、横坂源さんの登場です!
現在、留学先のドイツ・シュトゥットガルト国立音楽大学に通われていらっしゃいます。
お話を伺ってみました。


〜 古市幸子 × 横坂源 〜

古市:ドイツでの留学生活はいかがですか。
横坂:日本のときの学校生活とはまた違って、建物がまず違いますね。
   学校から歩いて3分のところにオペラを見に行けるところがあったり。
   チェロをやっていくには良い環境だな、と思っています。

古市:もともと、チェロを始められたきっかけは?
横坂:4歳の頃なんですけど、父親が音楽学を教えていて、その生徒さん
   たちが室内楽のコンサートをしていた時、チェロのお兄さんがすごく
   カッコ良かったんですね。その後自宅に皆さんが来た時、彼が
   ウルトラマン人形で遊んで下さって。やっぱり“憧れ”が強かったんですかね、僕もあの大きいのがやりたい、と言ったのが
   きっかけで、チェロを始めました。


古市:横坂さんは、読響のソロチェリストの毛利さんのお弟子さんでも
   あったんですよね?毛利先生は、横坂さんにとって、
   どんな先生でしたか?

横坂:とにかく初めて行ったレッスンが、すごく楽しくて、あっという間に
   終わってしまって。堅苦しいことよりも、どうやって音楽を楽しんで
   作っていくか、という方から教えてもらったので、すごく楽しく学校生活と
   一緒に過ごしていました。先生は室内楽もたくさんコンサートを
   やられていて、よく見に行くんですが、そこから学ぶことも多いんです。
   3、4人で演奏するんですが、やっぱり、先生が基盤になって、1つの
   音楽をすごく楽しそうに作っていて、ああゆう風になれたらいいな、
   と思います。

古市:確かに、毛利さんはいつも、楽しそうに演奏されますよね。今日は、
   リハーサルを見ていたら、いつもの楽しそうな毛利さんプラス、ちょっと
   横坂さんのことを気にして、お父さんのようにも見えました。ソロの部分
   など、すごく頷きながら聴いてらっしゃったように見えたんですけど・・・。

横坂:本当ですか!? 嬉しいです・・・。

古市:今日はチェロ協奏曲の王者、「ドヴォルザークのチェロ協奏曲」を
   演奏していただきますが、これは、横坂さんにとってどんな曲でしょうか?

横坂:コンチェルトの中でも、一番多く弾いている曲です。有名な曲だから多くの
   お客様にすごく馴染みがあると思うので、どういうふうに自分が感じたことを
   素直に大きく出せるか、という点が一番難しいところですね。そして挑戦し甲斐の
   ある所でもあります。普段はどうしても、ソロパートの自分の音しか聴かずに
   練習していますが、そうじゃなくて、やっぱり、1対何十(オーケストラ)だけでは
   なくて、全部で一緒に(一番後ろの席のお客様まで)1つの音楽で持っていけたら
   いいな、と思っています。



♪ハイドン:交響曲第45番〈告別〉

続いては、指揮者・小林研一郎さんをお迎えし、今年生誕200周年の作曲家ハイドンの交響曲「告別」についてお話を伺いました。



〜 古市幸子 × 小林研一郎 〜

古市:ハイドン〈告別〉とはどういう作品なんでしょうか?
小林:この〈告別〉は、曲の最後でオーケストラ奏者が一人ずついなくなって
   いく、という面白い演出がついています。ハイドンが仕えていた
   エステルハージ侯爵が、なかなか休暇をくれないので、なんとか一計を
   講じようと、一人ずつ、譜面台のろうそくを消して去っていったんです。
   そして皆がいなくなる最後に、指揮者とヴィオラとヴァイオリン1st、2ndの
   4人の方が残る、という設定にしたら、エステルハージ侯爵が、分かった、
   といって休暇をくださることになったそうですけど。

古市:なかなか遠まわしな伝え方をしたんですね!休みをくれ!ということを。
小林:僕は、今日2回目なんですね、この曲を指揮するのが。1回目が30年も
   前なんですけど、フィレンツェのオーケストラで、これを指揮しました。それは、
   教会の中でして、教会の中というのは温度が低いんですね。その日、外は太陽の
   光が強かったものですから、水をがぶ飲みして、それで教会の中に入ったら
   7、8℃温度が違うんですね、外と。そして、曲が始まった。僕35年間指揮をして
   おりますが、それ1回だけ、急にトイレに駆け込みたくなって・・・。

古市:えっ!?指揮をされている最中にですか!?
小林:はい、最中に。それも1楽章から。で、2楽章は必死に耐えた、
   3楽章も耐えてたんですけども、4楽章の例の最初の方がステージから消えようとする前に、もうガマンが出来なくなって、
   僕は1番先にステージから逃げたんです・・・。

古市:!!!もともと演出は・・・指揮者は最初じゃないですよね?
小林:指揮者は出ちゃいけないんですね。指揮者は最後まで残っている、という設定なんですけど、とにかく最初に逃げて・・・、と、
   そういうエピソードがあります。あとで団員達に「マエストロ、結構シャレたことするね」と言われ、僕の緊急事態はご存知
   なかったようで良かったと思いました。

古市:マエストロの斬新な演出だと、解釈されたんですね!
   じゃあ、今日2回目の指揮というわけなんですが、今回はどのタイミングにマエストロは??

小林:・・・お楽しみください。

演奏前に意味深な言葉を残されたマエストロ。
本番では、38小節目(最初に立ち去る奏者とほぼ同時)に、立ち去っていました。


4楽章途中、アダージョに突入。
全員演奏しています。

56小節目・・・・
管楽器は全員去っていきます。



86小節目・・・・
チェロも去ってしまいました。

96小節目・・・・
とうとう2人に。




♪チャイコフスキー:祝典序曲〈1812年〉

最後は、大砲の音が鳴り響くこの作品。
ナポレオンの全盛時代は、1789年のフランス革命から1812年まで続くが、ロシアへ侵攻するものの、結果的に大敗北をこうむる。この曲は、その時のロシア軍の勇戦ぶりと、ナポレオンの敗北を描いたもので、戦争で焼失したモスクワ中央大寺院の再建祝いとして1882年に書かれた。
大砲の音を模した大太鼓の部分は、初演では本物の大砲を撃った、と言われている。舞台下手、大砲役の大太鼓は、ティンパニー隣にある普段使う大太鼓よりも、はるかに大きいことが見て分かる。


横坂 源(チェロ)  Gen Yokosaka(cello)
チェロを鷲尾勝郎氏、毛利伯郎氏、ジャン・ギアン・ケラス氏に師事。2000年、KOBE国際学生音楽コンクールで最優秀賞ならびに「兵庫県教育委員会賞」受賞。02年、全日本ビバホール・チェロコンクールにおいて最年少第1位を受賞。桐朋学園音楽部門創立50周年記念演奏会において小澤征爾と共演。05年、第15回出光音楽賞受賞。同年、ルツェルン・フェスティバル・アカデミー(芸術監督:ピエール・ブーレーズ)に参加。
サントリー株式会社所有の1710年PIETRO GIACOMO ROGERI制作のチェロを貸与されている。
現在、シュトゥットガルト国立音楽大学在学中。 
小林研一郎(指揮者) Ken-ichiro Kobayashi(conductor)
東京芸術大学作曲科・指揮科卒業。第1回ブダペスト国際指揮者コンクール第1位、特別賞受賞。 ハンガリー国立交響楽団音楽総監督、日本フィル音楽監督をはじめ、国内外の数々のオーケストラのポジションなどを歴任。ハンガリー政府よりリスト記念勲章、ハンガリー文化勲章、 星付中十字勲章が授与されている。現在、ハンガリー国立フィルおよび名古屋フィルの桂冠指揮者、アーネム・フィル常任指揮者、マタヴ・ハンガリー交響楽団、九州交響楽団の首席客演指揮者、東京芸術大学名誉教授、東京音楽大学客員教授などを務める。