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戦後80年…“仲間の死”元日本兵が見た悲惨な戦場

2025.01.13

尾﨑健一さん96歳。

話してくれたのは、
80年前の“悲惨な戦争体験”でした。

○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「阿鼻叫喚の地獄絵を見ましたね。
 『尾﨑…尾﨑…尾﨑…』と
 私の名前を連呼して、息が絶えました」

「国のために働きたい」と
少年通信兵の学校に入った尾﨑さん。

○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「終戦の前の年(1944年)
 夏休みに帰宅した時の写真」
○櫻井
「まだあどけないというか…」
○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「子どもですよ」

このとき16歳。

戦況について何も知らされないまま、
2年のところを11か月で卒業させられ、
命じられたのが「フィリピン派遣」。

1944年12月。
到着したのは
当時、旧日本軍が占領していたフィリピンのルソン島。

○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「飛行場があったんです。日本軍が管理している。
  その飛行場に、
  アメリカ軍の戦闘機が爆撃を毎日している」
○櫻井
「毎日?」
○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「ところが、それに対して対空射撃をするとか
 友軍機が迎撃するとかはまったくありません。
   もう敗戦状態」

敗色濃厚ななか、衝撃を受けた出来事が…。

○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「悪徳・非道な日本兵。そんな兵隊なのかと」

尾﨑さんによると、
フィリピンのゲリラが、
旧日本軍の兵士を襲撃し、殺害。
その報復として、
日本兵が村を襲ったといいます。

○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「家に土足で侵入するんです。
  タンスを引っ張って床にひっくり返す。
  金目のもの、ネックレス指輪、
  そういったものを強引にとる。
  出征する前は、家庭であれ職場であれ
  真面目な人だろうと思うんです。
  それが戦地に行くと、こうもひょう変するのかと」

○櫻井
「何がそうさせてしまうんですか?」
○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「戦地だから、したい放題やる
 群集心理もあるんでしょうね」
○櫻井
「群集心理…」

そして1945年1月9日。
フィリピンを奪還すべく、アメリカ軍がルソン島に上陸。

これは首都マニラに攻め込む、アメリカ軍の映像。
圧倒的兵力により、多くの日本兵が命を落とし
尾﨑さんの部隊は、
わずか1か月で壊滅したといいます。

そして尾﨑さんは「敗残兵」として、
ジャングルの中を
7か月にわたって逃げ回ることになったのです。

そこで待っていたのは
「飢え」と「仲間の死」でした。

○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「食う物がないんです。まったくないんです」
○櫻井
「まったく…」
○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「ゼロです。山に生えている雑草。
 雑草の中から食える草を探す。
   餓死、衰弱死。それがどんどん増えた」

さらに昼夜問わず続くアメリカ軍の攻撃で、
仲間たちは、次々と命を落としていきました。

○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「突然夜中に、迫撃砲の猛爆をうけた。
  阿鼻叫喚の地獄絵を見ましたね。
  約30人が死んでいました」

そのなかには、ともにフィリピンに来た
通信兵学校の同期の姿もありました。


○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「びっくりして抱き上げました。
 あごがなかった。
 迫撃砲の破片で吹っ飛ばされた。
 抱き上げて、体をゆすって名前を何度も呼んだら
 私に気がついて、ろれつの回らない声で
  『尾﨑…尾﨑…尾﨑…』と私の名前を連呼して、
 息絶えました」

極限状態のなか、
苦渋の決断を迫られた時も…。

○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「山を歩いている時に、偶然出会いました。
  山の方を頭にして足を投げ出して(座っていた)」

奇跡的に再会したのは、
同じ高知県出身で、学校でも一番仲が良かった同期。

○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「びっくりして名前を呼んで
 横に座って、話をしたが
 もう立ち上がることができなかった」
○櫻井
「衰弱しているということ?」
○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「衰弱ですね。
 『おれは、もうここで死ぬしかない』と。
 『おれと一緒に行かないか』と言って
  背中におぶってでも、と思ったんですが、
 『ほうっておいてくれ。苦しくない』と。
  私は断腸の思いで帰ったのですが、
  10mくらい歩いて後ろを振り返って
  彼を見て、私は手をあげたんです。
  彼も手をあげたんです。
  それが最後でしたね」

9月。
アメリカ軍がまいたビラで、
「日本の敗戦」を知り、尾﨑さんは投降。

尾﨑さんによると
ともにフィリピンに派遣された仲間は317人。
そのなかで生き残ったのはわずか10人。

○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「我々の死んだ連中はですね、
   食う物なくて逃げるだけで
 最後は飢え死に。
 餓死したり衰弱死したりする。
   せめて私だけでも、それを知らせたい。
 それが彼らに対しても
 私の責任であると考えて行動しているわけです」
○櫻井
「これほどの無念の死を
 より多くの方に伝えたい?」
○元日本兵 
尾﨑 健一さん(96)
「少しでも知ってほしい。
  そして戦争をしないようにしてほしい。
  それが私の願いです」

○櫻井
取材を終えて数日経った後に
尾﨑さんから、
“次の世代に
    伝えたいことがある”と
追加のメッセージを
      いただいています。

「政治に無関心ではいけない。
  おかしいと思ったら
       声を上げるなり、
  何らかの行動に
  結びつけることが大切である。
  また、今はそれができる時代でもある」
       ということでした。

取材の日もご自身でまとめた
       詳細な資料をもとに
長時間にわたって
悲惨な体験をたくさん
    語っていただきました。
その取材を終えて、なお追加で、
このように
世の中の人に伝えたい
  メッセージをいただきました

政治や時代の流れに
  あらがえなかったという思い、
その悔しさが
 にじむ言葉だと感じましたし、
その思いの強さを、
しっかりと受けとめたいと
          思いました。

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