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戦後80年…「敵ではなく人間」被爆死米兵を調べ続けた被爆者

2025.03.24

戦後80年となる2025年
私たちは
「いまを、戦前にさせない」をテーマに
様々な特集をお伝えしています。

広島市内のビルの1階に建てられた慰霊碑。

アメリカ国旗が添えられ、
英語で追悼の言葉が書かれています。

建てたのは、被爆者の森重昭さん87歳。
まさにこの場所で亡くなった
アメリカ兵らを追悼するため、
自費で慰霊碑を作りました。

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「『どうしてもここでお願いしたい』と言って、
 1年半かけて(ビルのオーナーを)
 説得しまして」
○櫻井
「ここでアメリカ兵も被爆された?」
○被爆者
 森 重昭さん(87)
「ええ」

9年前の2016年、
原爆を落とした国のトップとして、
初めて被爆地・広島を訪れたオバマ大統領。

○アメリカ
 オバマ大統領(当時)
「広島で命を落とした
 アメリカ兵たちの家族を
 捜し当てた男性がいます。
 家族を失った苦しみは
 自分と同じだと信じたからです」

スピーチでこう紹介したのが、
森さんでした。

感極まって言葉に詰まると、
2人はそっと抱き合いました。

森さんが生涯をかけて取り組んだのが、
広島で被爆死したアメリカ兵の調査。

 

12人いたことを突き止めたのです。

ご自宅で見せてくれたのは、
箱いっぱいの手紙。

○櫻井
「何通くらいあるんですか?」
○被爆者
 森 重昭さん(87)
「300(通)くらいあると思います」
○櫻井
「300……」

森さんは、8歳のときに、
爆心地から2.5キロの場所で被爆。

戦後30年たったころ
当時のことを調べるなかで出会ったのが
被爆者が描いた、この絵です。

原爆が投下され、
焼け野原となった広島の街を
憲兵に連れられて歩く、
アメリカ兵が描かれていました。

捕虜として連行された広島市内で、
母国が落とした原爆によって、
次々に命を落としたのです。

しかしアメリカ政府は、
原爆で亡くなったことを、
遺族に伝えておらず、
森さんは“真実を伝えたい”と
遺族を捜す活動を始めました。

○櫻井
「大変な労力と時間をかけての
 調査だったと思うが、
 その時の森さんの生活は、
 どういった日常だったんですか?
 お勤めになられていたんですか?」
○被爆者
 森 重昭さん(87)
「そうです。日曜と祝日だけ
 (調査していた)」
○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「休日に黙って出て行く。何も言わないで」

妻や子供にも内緒で始めた遺族捜し。

当時アメリカ兵を目撃した
1人1人に会いに行き、
情報を集めていたのです。

さらにある日、妻・佳代子さんが
驚く出来事がありました。

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「いきなり国際電話の請求書を見せられて、
 『これ払ってくれ』って。7万いくら」
○櫻井
「いや結構な…」
○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「30代の時ですからね。
 そんなに豊かな経済じゃない」

森さんは名前だけを頼りに、
アメリカ各地に、
国際電話もかけていたのです。

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「思わず『やめてください』って私(言った)。
 言ってやめる人じゃないことも
 分かっていた」

当時、夫婦でこんな会話をしたといいます。

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「『自己満足のためにするんだったら、
  やめてください』とはっきり言いました。
  そうしたら、
 『ご遺族に本当のことを知らせたい』と。
  それだったら私も協力して」

夫婦二人三脚で続けてきた、
終わりの見えない遺族捜し。

アメリカに手紙を送るときには…。

○櫻井
「英語はどうされたのですか?
 得意だったのですか?」
○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「いえいえ、辞書をどれだけ潰したか」
○櫻井
「独学で…。1通書くのに、
 どれくらいの時間をかけたのですか?」
○被爆者
 森 重昭さん(87)
「月単位」
○櫻井
「月!?いやそうですよね」

また同じ被爆者から
厳しい言葉をかけられたことも
あったといいます。

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「『あんたも被爆者なのに
  なんで敵国の人を調べるのか』って」
○被爆者
 森 重昭さん(87)
「それは言われたね」
○櫻井
「言われました?」
○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「言われました」
○櫻井
「何が森さん自身を突き動かしたのですか?
 なぜそこまで思いを強くもって
 やられたのですか?」
○被爆者
 森 重昭さん(87)
「最初は(被爆死した米兵が)
 12人とはわからなかった。
 見つかるとは思わなかった。
 だけど1人見つけたら、とても喜ばれた。
 だから、続けることができた」

アメリカ兵12人全員の
遺族を特定した森さん。

2018年には国連本部に招かれ
30か国以上の外交官らを前に、
こう語りました。

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「私が40年以上の日月を費やして
 被爆調査をやったのは、
 敵国の人を調べたのではありません。
 人間を調べたんです。
 私がやったことは間違いではなかったと
 確信しています」

森さんは去年、
腸の病気で入退院を繰り返し、体力が低下。

それでも今は、長崎で被爆死した
8人のイギリス兵と
オランダ兵の調査をしていて、
そのうち6人の遺族を特定しました。

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「あと2人、頑張ってやろうと思って」
○櫻井
「今なお…」

命あるかぎり、
活動を続けていくといいます。

あの日「核なき世界」の実現を
訴えたオバマ氏。

○櫻井
「オバマさんが広島に来てから
 9年という月日がたちますが
 世界の状況は
 前向きに変わっていったと感じますか?」

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「逆になっているんじゃないかなと僕は思う。
 みんな敵と味方で
 考えていらっしゃるようだけど
 そうじゃないんだと。
 相手が、敵でなく人間だと思ったら
 バカな殺し合いはしないはずだから
 そこのところだけは
 しっかり気づいてほしいんです」

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