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戦後79年…元隊員が語る“海の特攻”マルレ

2024.08.12

○櫻井
「こんにちは。
 きょうはよろしくお願いします」

岐阜県多治見市に住む
元特攻兵の佐野博厚さん96歳。


見せてくれたのは、“特攻兵器”マルレの写真です。

○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「全部ベニヤ(板)ですよ」
○櫻井
「かなりもろいですよね?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「もろいですよ。気をつけていないと
  ベニヤだから穴開いちゃう」

○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「船尾に250キロの爆雷を装備して
 舟艇もろとも敵船に体当たりというような戦法。
 100%生きて帰ることはできません」
○櫻井
「100%…」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「できません」

極秘とされた特攻部隊。

船は“連絡艇”の形をとり
頭文字「れ」をとって、マルレと呼ばれました。

これは戦後、そのマルレを接収したアメリカ軍が、
実際に乗る様子。

「Suicide Boat=自殺艇」
と呼ばれたマルレの特攻部隊は、
フィリピンに上陸を始めるアメリカ軍の艦船を沈め、
戦果をあげた船もあると言われています。

そのマルレに乗り込んだのは、
ほとんどが15歳~19歳の若者たちでした。

戦地に送られたのは3000人以上。
そのおよそ6割が命を落としています。

当時17歳だった佐野さん。

○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「あの当時の若い者、特攻隊員は消耗品ですわ」
○櫻井
「それに当時、
  違和感を覚えることはなかったですか?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「ありません。
  身を捧げると、本望だと
 教育されているし、身についていますから」
○櫻井
「今思い返すといかがですか?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「よくあのとき、
  そういう考えになったなと思う」
○櫻井
「それはやはり当時の教育ですか?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「すべて教育。
  国の教育によって、どういうふうにもなります」

佐野さんは、小学校6年の時に
陸軍の1日体験入隊に参加。

○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「兵隊さんと同じ食事をして
 兵隊さんと同じ寝台で寝た」
○櫻井
「入隊することで怖いなとは?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「そういうことはなかった。
 あこがれましたね」

そして1943年12月、
兵力不足を補うため、陸軍が始めたのが
“特幹”と呼ばれる「陸軍特別幹部候補生」の募集。

15歳~19歳を対象に、
早く階級が上がる制度でした。

佐野さんは“船舶特幹”となり、訓練を続けるなか、
ある日、上官に呼ばれ…。

○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「昭和20年(1945年)5月、
『これから呼び出す者は、一歩前に出よ』と。
 一歩前に出たら、
『以上の者は、
  船舶練習部第10教育隊に転属を命ずる』と。
  マルレの基地だと承知していたので」
○櫻井
「わかっていたんですか?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「わかっていますよ。
 いよいよ特攻隊員になったなと」
○櫻井
「命令なんですか?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「命令ですよ」
○櫻井
「『希望者は』とかではない?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「よく言われる
『特攻隊に志願する者は一歩出よ』
 そんなの全然あり得ません。
 命令ですよ、自分の選択権はありません」

それでも…。

○櫻井
「マルレに選ばれた時は、気持ちとしては?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「名誉だと思いました」
○櫻井
「名誉?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「国のために奉公できる。名誉なんだと」

広島県江田島市幸ノ浦。
こののどかな海岸に、

戦時中、マルレを訓練するための基地がありました。

この海で、昼夜、特攻の訓練を続けた佐野さん。

○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「遺書も書きましたしね。
『祖国日本を安泰にするために
  身を捧げる時が来た。安心していてくれ
 弟たちよ、俺に続け。
 妹たちよ、強い男の子を産めよ』と。」
○櫻井
「当時17歳?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「今の若い者は考えられない。
 小さいときからの流れ、教育の流れ」
○櫻井
「教育の流れ…」

そして1945年7月、本土決戦に備え、
佐野さんの部隊は、広島県から熊本県・天草へ。

出撃準備をするなかで、終戦を迎えました。

一方で、広島に残っていた部隊は
原爆投下後、救援活動で被爆し、後遺症に苦しみました。

○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「8月15日の終戦が長引いていたら
 おそらく突撃していた。すべて紙一重」
○櫻井
「紙一重…」

佐野さんが見せてくれたのは、
入隊時、同級生たちが署名してくれた日の丸。

○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「よく今まで保管していたなって。
 自分でも不思議。
 これからは大事にしまっておこうと。
 子どもや孫たちのためにも。
   平和の尊さ、ありがたさを
   我々から若い時代、それから次の時代、
 ずっと流れて伝えなきゃいけない。
 我々はその義務がある。
 そのためにはこういう証拠を残して」

○櫻井
「どこが一番戦争の悲惨なところ
  怖いところですか?」
○「マルレ」元特攻兵
佐野 博厚さん(96)
「お互いに殺し合うことかな。
 もう1つは、一般の住民が
   空襲とかで犠牲になっている。
   一般の人も巻き込んだ戦争は
   まったく無意味だと思う」


 

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