昨年の12月31日をもって、歌舞伎町の「ミラノ座」が閉館。
58年続いた映画館が姿を消した一方で、そのすぐ隣には、都内最大級というシネコンが今年4月に完成予定。
そんな2015年注目の街でタイムスリップ
50年前高層ビルがたちならぶ場所にあったのは?
歌舞伎町で若者がさっとうした場所とは?
まずは新宿駅を東口を出て、歌舞伎町への入り口へとさしかかる場所で見てみます。
JRの線路から右手に見た、靖国通り越しの歌舞伎町。
その奥にそびえ立つ高層ビルが「新宿東宝ビル」。
ホテルを併設した都内最大級のシネコンとなり、ビル外観に設置されるというゴジラも大きな話題となっています。
まさに、新宿の新たなランドマークとなるでだろうこのビルが立つ前に、ここに何があったのか、憶えていますか?
さかのぼること54年前。1961年。
当時この場所にあり、人々で賑わっていたのが新宿コマ劇場。
1956年に完成した当時日本最大級の演劇場で、2008年に閉館するまで、半世紀あまり人々を楽しませてくれました。
そして、そのコマ劇から広場を挟んで向い側にあったのが、昨年閉館した映画館の「ミラノ座」。
55年前の1960年。
工事現場が広がるこの場所ですが、55年前は、多くの人が行き交う広場の奥にミラノ座が見えます。
そして、劇場の入り口はというと、映画を見に来た人で大行列。
チケット売り場には、大人に混ざって子供達の姿も。
そしてこのにぎわう映画館の上、3、4階部分にはある別の施設があったんです、それは何だかわかりますか?
映画館の上にあったのはスケートリンク。
ミラノ座と供に開業した「東京スケートリンク」は、わずか10年間程の営業でしたが、多くの人でぎゅうぎゅう。
ラブラブで滑るカップルの姿もあったんです。
そして、その歌舞伎町の入り口に面する靖国通り。
この大通りにはかつて路面電車が走っていたんです。
気軽に乗れる庶民の足として、1970年に廃止されるまで活躍しました。
一方で、新宿には変わらないものも。
新宿の街で、大きな存在感を誇る伊勢丹。
多くのお客さんで賑います。
1936年のオープン間もない時と、外観は今とほとんど変わりません。
店内は大盛況。
売り場をよく見て見ると、高級品の毛皮に人々がさっとう。
さらに、店内の看板を見ると、当時からクリスマスセールも行われていました。
そして、そんな賑わう当時の新宿をより知るために向かったのは、東口のそばにあるフルーツショップ“タカノ”。
明治18年から130年にわたり新宿に店を構えます。
新宿と言えば“眠らない街”。
酒場をハシゴして千鳥足で歩くサラリーマンの姿。
そんな、昔から繁華街として賑わってきた東口側に対し、西口側にカメラを向けて見ると、都庁を始めて高層ビルが建ち並んでいます。
ではビルが建つ以前は、どうなっていたのか?
1965年頃の新宿。
西口の方に広がっているのは巨大な浄水場。
1898年に完成し、1965年に移転するまで、東京の人達の生活を支えました。
その浄水場跡にできたのが新宿の高層ビル群なんです。
そして、ハテナビはこの場所から、その変化の様子を定点観測した写真を入手。
1969年には、高い建物と言えば、手前の都営住宅くらい。
この50年余りで、新宿西口の風景は激変しました。
さらに新宿東口のシンボルにもなっているアルタのビル。
85年前の当時、ここにあったのは三越新宿分店。
横に並ぶ3軒のお店も変わってはいるものの、建物の幅は、当時とほぼ変わりません。
そして、アルタと言えば、「笑っていいとも」が生放送されていたスタジオでも有名ですが、今は番組収録以外のイベントにも貸し出されているんです。
たとえば、結婚披露宴。
番組終了後から今まで4組がここで行ったそうです。
ちなみに、新郎新婦の控え室に使われているのが、タモリさんの元楽屋でした。
変化し続ける中にあっても、昔ながらの面影をちゃんと残している。
それが、新宿という街でした。