DASH島開拓史

トロッコ初の走行テスト2012/12/2

11月。秋も深まり、山もうっすらと色を変え始め
総延長500mに及ぶトロッコの線路敷きも徐々に進む。
苦労の末、人力で曲げたカーブも含めて20m。ここで、初の走行テスト。
しかし、直線ではスムーズに走ったトロッコが、カーブでまさかの脱線。
車体には外側への遠心力が働き、内側の車輪がレールから落ちてしまった。
ここでも知恵と力を貸してくれたのは、若い鉄道マンたち。
カーブ内側に“ガードレール"を設置することで、脱輪を防ぐことができた。
そして、線路はついに森を抜け、待望の海へ。残り3分の2。まだ先は長い。

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オオスズメバチの脅威2012/11/25

DASH島にトロッコを走らせようと、線路を敷く作業に着手。
中古のレールを連結し、10mほど敷いたところで、始めの難所を迎えた。
島の道に沿って、線路はカーブを描かなければならないが、レールは直線。
聞くと、鉄のレールを人力で曲げなければならないらしい。
ジンクロという道具を使うものの、内側と外側の2本ずつ。
鉄道マンたちの協力もあり、20mを敷き終え、残りはまだ480m。
もうひとつ苦労したのが、島に大量発生したオオスズメバチだった。
城島が巣の駆除に乗り出したが、最後はスズメバチハンターの手を借りねばならず。夜までかかって、ようやく駆除したが、遭難する始末だった。

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DASH島に線路は敷けるか?2012/11/11

風も涼しくなってきた10月、達也は漁に使う舟を修理していた。
頂いたその舟は痛みが激しく、舟底の穴からは水が漏れ出していたからだ。
その方法とは、3年前、沖縄で達也が「サバニ舟」を直した時に学んだ「フンドウー」を使ったものだった。その時の経験を活かし、無事完了。
そして、ついにDASH島に線路を敷く日が訪れた。
島には、長瀬の手漕ぎトロッコと、お役御免となった大量のレールと枕木が到着。
しかし、人力で運ぶには重すぎるレールと、熟練の技を必要とする線路の釘打ちに、予想外の苦戦を強いられた。

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無人島開拓 本格始動! 2012/10/14

開拓の拠点に『舟屋』の建設を決め、開拓は本格的に始動した。
理想は、京都・伊根湾にあるような、一階が船着き場、二階が住居の舟屋。
建材は、島にあるものでまかないたい。しかし、それを運ぶのが予想以上に重労働だった。
そこで、トロッコでの運搬をひらめいた長瀬が富山県の黒部峡谷鉄道へと飛んだ。
ここの山岳鉄道 鉄道マンの協力を得て、使っていない平トロッコを立派な「手漕ぎトロッコ」に改造。
あとは島に、このトロッコを走らせるレールを自分たちの手で敷かねばならない。
開拓は、まだ始まったばかり…

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DASH島 初上陸2012/9/16

2012年 夏。とある無人島に到着。
まず始めたのは、島を知るための探索だった。
島の大きさや地理は? 食糧や水は確保できるのか? 危険な生き物はいないのか?…
何もわからないまま、すべては手探りで動き出した。
まず目にしたのは、かつて人々が生活していた跡。
島の暮らしを支えていたであろう道具の数々、様々な建造物や運搬設備の跡。
どれも朽ち果て、すぐに使えるものではないが、修理して活用できる余地は十分にあった。
そして、人が住める島の証でもあった。

さらに、海の豊かな魚介類や森の果実、井戸湧水の存在は、島がくれた貴重な恵み。
一方で、得体の知れないクラゲが海面を浮遊し、舌が痺れるような有毒植物が自生、動物の頭がい骨も転がる… 豊かさと厳しさ。それが、この島の自然の姿。

この先にどんな困難が待ち受けようと、DASH 17年間で培った技と知恵で乗り切れるはず。
そんな決意を胸に刻みながら、一人一文字で『DASH島』としたためた旗は、その決意の証だ。

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