二条城は慶長8年(1603)に徳川家康が御所の警護と将軍上洛時の宿舎として築城しました。3代将軍家光のときに増築され、寛永3年(1626)に現在の様相となりました。京都における徳川将軍家の威光を示す重要な役割を担っていました。
家康の将軍就任の祝賀の儀が二条城で催されて江戸幕府がはじまり、15代将軍慶喜が二条城二の丸御殿の大広間で大政奉還を行い、江戸時代の幕は閉じられました。
二の丸御殿の室内を飾る絵画は、画壇の頂点を極めた狩野探幽を棟梁として狩野一門が総力をあげて描きました。本展ではそのうち、大名諸侯を圧倒するかのような大広間四の間の「松鷹図」や、黒書院の一の間、二の間の室内を彩ったすべての障壁画を立体的に再現し、武の力で日本を治めた徳川将軍家の威光を実感していただきます。
二の丸御殿は江戸時代初期に建造された城郭のうち現存する唯一の遺構です。車寄、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院という6棟が建ち並びます。
松鷹図は、大広間四の間の四周に描かれたもので、黄金を背景に滝から渓流が生まれ、長押を突きぬけて天井まで届くほどの太い幹枝の松には三羽の猛禽が止まっています。この画面(本展出品:西側の壁)では、狗鷲がじっと左手をにらみ、岩に止まって振り返る角鷹と呼応しています。さらに南側の壁では、滝を背にした大きな松の枝先から獲物を狙うかのように蒼鷹が見下ろしています。
古来、鷹狩は支配者の権威を示すものとして行われ、とくに家康、家光は鷹狩を好みました。どっしりと根を下ろす松の大木とともに、落ち着いた風格の猛禽の姿は、戦国の世を終わらせた徳川将軍家が絶対的な権威を揺るぎないものとしたことを絵によって端的にあらわしたものです。
黒書院は小広間とも呼ばれ、将軍が執務を行う部屋として使われました。また身分の高い公家や僧侶、御三家や親藩、譜代の大名たちとの謁見の場として使われた内向きの建物です。幕末、ここで大政奉還(慶応3年10月14日)の前日に、最後の将軍徳川慶喜が近臣へ自らの決意を述べたといわれています。
これらの絵は、狩野探幽の弟、尚信によるものです。桜花は胡粉(白色)を盛り上げて彩り鮮やかに咲き誇り、木々や水流を描く優雅な曲線と、直線的な籬があいまってコントラストを高めています。
本展では黒書院一の間、二の間を飾る障壁画69面すべてを展示して、武家建築の厳かな空間を再現します。厳粛でありながら優美で、そして激動の幕末期の舞台裏を彷彿させる空間を体験していただきます。
☝「桜花雉子図」
雌雉と若雉が遊ぶ庭に小川が緩やかに流れています。一の間にいる雄雉が鳴いて雌と呼応しています。この東側の壁の桜は今が盛りです。
☜「桜花図」
二の間南側に描かれたこの桜は庭の桜よりも、少し時間が経っており、花びらが散って水流に漂っています。また、丸い緑の盛り上がった土がいくつか重なって遠くまで桜木が続いていきます。この襖絵の上には遠景として楼閣山水図が描かれていて広々とした空間を感じさせます。
二条城 二の丸御殿