ヨーロッパでは13世紀、布に模様を印刷する手段として木版画の使用が始まりました。14世紀後半以降から、普及し始めた紙に印刷するようになります。また、活版印刷術とプレス印刷機の実用化により木版画は活字と組み合わされて、本の挿絵としても活用されるようになります。16世紀になると次第に木版画の生産量は減少し、代わりに銅版画のエングレーヴィングが主流となりました。エングレーヴィングによって非常に細かい部分までの描写が可能になったため、当時はこの技法が版画芸術を革新するものとみなされていました。代表的な画家を挙げると、エングレーヴィングではドイツのアルブレヒト・デューラー(1471-1528)、エッチングとドライポイントではレンブラントなどがいます。
凹版の中では最も歴史が古い技法です。通常は銅版ですが、亜鉛版や鉄版が用いられることもあります。よく磨いた薄い金属板に、ビュランいう先端が斜めに切断された鋭い道具を使って彫ります。そのため「ビュラン」または「ビュラン彫り」とも呼ばれます。一点のエングレーヴィングを仕上げるには相当の熟練と労力が必要とされるため職人技とされていました。深い溝を彫ることができるので印刷を重ねても磨耗しにくく、またエングレーヴィングは線の幅に変化をつけられるのが特徴です。エングレーヴィングを代表するのはデューラーです。レンブラントはこの技法を最後の仕上げやアクセントとして使っています。
腐食銅版画。通常は銅版が用いられますが、16世紀半ばまでは主に鉄版、19世紀過ぎまでは亜鉛版も頻繁に用いられていました。よく磨いた金属板の面に溶かした蜜蝋や松脂を塗り、その上をニードルという針状の道具で引っ掻きながら絵を描きます。これを酸性溶液に浸して引っ掻いた部分を腐食し、そこにインクをつめてプレスします。蝋の上から描くという特に力を必要としない技法なので、柔らかく動きのあるタッチで自由に描くことができます。エッチングの線は太さが均一で、始まりと終わりが丸くなっているのが特徴です。レンブラントは最も重要なエッチャーです。
金属板をニードルや尖筆で引っ掻くことによって描き、そこにインクをつめてプレスします。線の両側には「まくれ」という金属かすの盛り上がりができます。ここへ版に載せたインクを拭き取る際にインクが溜まるので、陰影の幅のある線が印刷されます。このまくれは印刷を重ねることで磨耗し、それによって印刷される線が弱くなってしまいます。エッチングやエングレーヴィングで大方完成させた後のアクセントとして使用することが多い技法です。レンブラントには、ドライポイントのみで制作された版画も少なくありません。
版画には一度印刷した後の版に手を加え、新たな彫りを得ることがあります。ひとつの版から複数段階の刷りが生まれる、この段階のことをステートと呼びます。レンブラントほどひとつの原版に手を掛けた版画家はいません。多いものになるとひとつの原版から10ものステートが作られている場合があります。
古くから植物の繊維を用いて紙を漉いていた日本とは異なり、レンブラントが生きていた17世紀のヨーロッパでは、ボロ布の繊維から作られた紙が主流でした。またこうした紙のほかに、古くからある高級な紙としては動物の皮から作られたものがありました。英語では『パーチメント(parchment)』と『ヴェラム (vellum)』という2通りの呼称があり、前者はおもに羊、後者は子牛の皮を丁寧に引き延ばしたものでした。ただ原料となる良質な皮を入手するのは容易ではなく、高価なものだったため、公文書や宗教的な記録など特別な場面に使用されることが多かったようです。
レンブラントは繊細な版画の明暗表現のために、普通の紙のほかに、子牛の皮を使ったヴェラムや和紙も買い求めました。中でも和紙の1つである「雁皮紙(がんぴし)」は少ない圧力で銅版のインクを写し取ることができ、発色性に優れていたため、レンブラントが版画作品によく用いました。雁皮紙の表面がなめらかで、真っ白ではなく淡い風合いの色がついていたこともレンブラントの心を捉えたようで、これらの紙を使って様々な明暗のグラデーションに挑戦しました。
17世紀は長崎の出島に出入りしていた東インド会社を通じてたくさんの日本製品がオランダに運びこまれた時期であり、レンブラントもこのルートを通じて、当時珍しかった和紙を入手したとみられています。本展覧会にはレンブラントが和紙を用いて刷った版画作品も多数展示されており、彼の明暗表現へのあくなき探究心の一端を垣間見ることができるでしょう。