1960年(昭和35年)、東京の都心をまだ都電が走っている頃、港区の六本木の隣り、飯倉片町に一軒のイタリアンレストランがオープンした。店の名は『キャンティ』。
当時、都内にはイタリアンレストランというものは皆無に近かった。そんな中、創業者の川添浩史と妻の梶子は、豊富な海外経験を元に、美味しい料理を供すると同時に、主人と客同士が語り合い、くつろげるヨーロッパ風のサロンを作りたいと考えた。店の設計は、川添の友人で、ル・コルビジェの最後の弟子といわれる建築家の村田豊が担当。店内のインテリアは、かつて彫刻家を志し、エミリオ・グレコのモデルをしたこともある梶子が担当。
居心地のいい、まるで夫妻の居間のような店内には、開店当初から様々な作家、芸能人、デザイナー、文化人らが集まり、一流の大人たちの溜り場となった。そして、多くのジャンルの人たちの交流はもちろん、世界中を旅してきた人たちによるさまざまな情報交換が行われため、『キャンティ』は、日本の最新の文化を発信するメディアのような役割を果たしていたのだった。
ムッシュかまやつ、篠山紀信、堺正章、加賀まりこ。当時、まだ中学生だった松任谷由実も実家のある八王子からはるばるこの店に通っていた一人。『キャンティ』は、まさしく真夜中の学校のような場所であった。
2004年の東京・六本木―。
ラジオ局・J-WAVEディレクター兼パーソナリティの主人公・山口紗代(内山理名)は、番組の企画を探すうち、伝説の店・キャンティと出会う。上司の並木(白井晃)が打合わせに指定した店がキャンティだったのだ。しかし、並木は仕事で現れず、紗代は仕方なく、偶然店のお客で来ていた婦人(八千草薫)と同席することに。
1960年のオープン以来、キャンティに来ているという婦人の話に耳をかたむけるうち、紗代は、キャンティに時代の才能たちが集い、それにあこがれる若者たちも足繁く通っていたという事実を知り夢中になる。
そして、そんな若者の中の一人がユーミン。紗代は、キャンティという一軒のレストランを舞台にして、ユーミンのデビュー秘話を描くドキュメンタリー番組を作ろうと決める。
企画書を提出した紗代は、並木の勧めで堺正章の話を聞く。さらに資料を集めに行ったキャンティで加賀まりこにもインタビュー。さらに井上順、ムッシュかまやつ、そしてパリではピエール・カルダンにもインタビューする。
また、ドラマのストーリーの中では、豪華アーティストが当時のヒット曲を次々と披露。松任谷由実をはじめ、河口恭吾、THE ALFEE、松浦亜弥、クレモンティーヌ、スガシカオ、大黒摩季など、現代を代表する素晴らしいアーティストたちのライブが、ドラマの中に織り込まれる。