季節の変化を見ながら暮らしていると、よく思うことがある。それは、自分はどの季節、何月が一番好きだろうかということ。こんな質問を小学生の時にされたけれど、その時はみんなと同じように「お年玉がある一月」と即答したのを覚えている。今になるとさすがにそうは思わないし、むしろ逆になってきている。二番目に好きだった運動会と誕生日のある十月も、中学で中間テストと重なり、一番好きとは言えなくなった。では、今改めて、自分に何月が好きかと聞いてみても、答えはそう簡単に浮かんでこない。寒い時は暑い季節がいいと思ったり、暑い時は寒い季節をいいと思ったりで、結局は何月が好きなのか自分でも分からない。しかし、昔から苦手とする月ははっきりしている。



 僕は今週から始まる六月が、嫌いまでいかないものの、どうも苦手だ。これは条件反射のようなもので、六月→雨→カエルという図式が僕の頭の中で完成してしまっているからだ。
そして、この図式の完成にはカレンダーの挿絵が大きく影響していると思う。
  六月のカレンダーは大抵のものにカエルの写真や絵がついている。幼い頃からそういったカレンダーを目にして、僕は六月を恐れるようになったのだと思う。実際に、僕は何月であろうと、長年培ってきた勘でカエルのいそうな場所は避けて通ってきた。だから、カレンダーの挿絵さえなければ、六月だからといって恐れることもなかっただろう。



 どうしても憂鬱になってしまう六月。カエルのいそうな場所を避けるように、六月も避けて通りたいところだけれど、そうはいかない。畑の作物も、苗代の苗も、今著しく生長している。
そして、野には春から夏に変わるのを告げる花も咲き出し、虫たちもたくさん顔をだすようになった。僕が苦手な六月は、様々な新しい生命が活発に動き出そうとする月。一年の中で最も村が賑わう時期かもしれない。そして、そう思うと、毎晩聞こえるカエルの合唱も少しは心地良いものになった気がした。



 

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