「南魚沼産新男米。 新米できました!」

今年の3月、村を避難する際、小袋に種もみを入れて持ち出してから半年。新潟県南魚沼市で無事、お米の収穫を迎えた。
ただ、そこまでの道程は決して平坦ではなく、最大の難関は7月終わりのゲリラ豪雨だった。しかも、その雨は南魚沼市の中でも田んぼをお借りしている鈴木清さんが住む地区周辺に集中した。その知らせを聞き清さんの元を訪ねると、豪雨の爪痕は想像以上だった。豪雨が3日間降り続いたそうで、清さんの棚田は畦が崩れ、上下の田んぼとも出穂前の稲に大きな影響を受けていた。さらに、棚田の麓の田んぼでも小川が氾濫し、大部分が土砂に埋まっていた。天災による被害を目の当たりにして、農業の厳しさを思い知った。

僕たちが借りた清さんの田んぼは、影響を受けず、新男米二米目は無事出穂の時期を迎えていた。新男米二米目は、交配5年目。まだ品種が安定していないので、高さや出穂の早さに違いはあるものの、順調に実っていた。そして、10月上旬、新男米二米目の収穫の時を迎えた。
新男米二米目の棚田からの眺めは絶景で、魚沼の土地、そびえ立つ山々が見渡せるが、頻繁に吹く風に稲が頭を揺らす度に、田んぼが海のように波立つ。まだ黄金に色づく前も綺麗だったが、色変わり後の黄金色の土地が波打つ光景は感動させられるほどだった。まさに米の名産地である南魚沼での稲刈りは、新男米二米目にとって、DASH村以外では初めて。お米の出来具合は良く、どの稲も頭をいつも以上に垂らしている気がした。清さんが言う通り、毎年悩まされたいもち病にもかからなかった。「風通し・日当り・土壌」、この3つの条件が揃っているとやはり違う。




精米してみると、さらにその違いを実感した。どの粒も本当に綺麗。ただJAに持って行き検査してもらった所、一等にはあと一歩届かず『二等米』。残念だけど、それでも上出来だった。
福島県にいるお世話になった方々に、できたての新米を届けると、みんな口を揃えて「いい出来だ」と言ってくれた。
皆さんとは久々の再会。お米が炊きあがる間、色々と話せた。相変わらずみんな元気だったけれど、ほとんどの人が村の近隣の方々なので、故郷を離れての生活はやっぱり苦労も多いようだった。

釜で炊いた新男米の炊きあがりは最高で、いい具合にお焦げも出来ていた。今年最初の新男米のおかずは、やっぱりDASH村の撮影の度に食べていた豚汁。僕は、震災以来だったので、懐かしかった。この豚汁は本当に絶品で、何杯でも食べられる。肝心の新男米二米目の味は、焚き具合もよく最高の出来だった。魚沼で食べたコシヒカリも最高においしかったけれど、また違った美味しさがあった。新米に豚汁、この純和風で最高な組み合わせに、久しぶりに再会したみんなで囲む食卓。それぞれの現況を話したり、震災前のように冗談を言い合ったりと、故郷に想いを馳せながら楽しい時間は過ぎていった。
11年もの間、毎年絶えずつくられた男米。震災という最大の危機に直面したけれど、お米の名産地・新潟県南魚沼市で命をつなぐ事が出来た。さらに違う土地で育ててみて、村では気が付かなかった事などを知る事が出来た。この経験を来年の米づくりにもいかしていきたい。

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