優秀な小学3年生を襲った心の病
1996年、愛知県豊川市。
小学2年生の安藤瞳。テストはいつも100点ばかり。
成績は常に学年トップで、文句のつけようのない完璧な子だった。
だが、そんな彼女はわずか9歳で恐ろしい病に冒される。
瞳の家庭環境は…食卓には母の作る栄養バランスを考えた料理が並ぶ。
「整理整頓」が母の基本。
どんな時でも部屋が散らかることはなくきっちりとした完璧な母だった。
母は習字教室を開いており、瞳も教わっていた。
厳しく指導する母。瞳はどんな事でも褒められるのが嬉しかった。
こうして、瞳は母に認めてもらうために完璧な性格になっていく。
何でも1番でなければ気がすまない瞳。
習字や絵は、他人の評価で決められる。
しかし勉強は、努力すれば結果が出る。そして…母に褒められる。
そんな瞳が小学3年生の時、運命を変える出来事が。
友達の間でダイエットをやってみようという話になったのだ。
友達は遊び半分だったかもしれないが、瞳はやるなら誰にも負けたくないと思ってしまった。
そして、この日からご飯を半分にすると、成果はすぐに出た。
元々痩せていたにもかかわらず1か月で体重は2キロも減った。
頑張った分、結果が出るのがうれしかった。
やがて完璧を求める瞳は、なんとダイエット本まで見て勉強するように。
本を買い、食材のカロリーを完璧に覚えていく。
すでに十分痩せているのに太ることが心配でたまらなかった。
自分はカロリー制限できている…それを確認できるとホッとする。
こうして瞳は「拒食症」のワナにはまっていく。
食べることが恐怖になる「拒食症」のワナ
常に体重が気になり、次第に食事が恐怖に思えてくる。
物を体に入れたら、体重がわずかでも増えるのが怖かった。
しかもご飯を食べなければ、母が心配してくれる…それが心地よかった。
相変わらず成績は優秀で、誰から見ても非の打ちどころがない娘。
その一方でダイエットはますますエスカレートしていき、心も不安定になっていく。
体に入れる量をきっちりと把握したくなり、食べさせようとする人は全て敵に思えた。
ダイエットを始めて3か月…体重は6キロ以上減り、15キロ以下に。
固形物を口にすることはなくなりヨーグルトやゼリーしか食べなくなった。
母が食べるよう言っても、頑として聞かず、
やがて両親の手にも負えなくなっていく。
そして…フラフラになっていく娘を見るに見かねてついに病院へ。
しかしこの時代、拒食症に詳しい医師が少なく…。
医師には「わがまま」だと言われてしまった。
それがショックでよりいっそう人の意見を聞かなくなっていく。
娘の体調が心配な両親は、様々な病院を探し、入院し治療も受けさせた。
時には中心静脈栄養という心臓に近い太い血管から栄養を投与する治療を行なった。
しかし、自分の体に栄養が入ることは許せなかった。
管は心臓近くまで入っているにもかかわらず、抜こうとする瞳。
痛さよりも体に栄養が入る恐怖に耐えられなかった。
体重は12キロまで落ちた。
自分で歩くこともできなくなりついには意識もうろうに。
こんな状況になっても、具合が悪くなるほど、お母さんが心配してくれる。
瞳はそれがうれしかった。
家族で取り組んだ「摂食障害」との闘い
瞳は、設備の整った病院に移された。
この病院で「摂食障害」に詳しい医師と出会うことができた。
摂食障害は心の病気…投薬治療よりも、彼女の心の治療が大事。
瞳は意識が遠い中、医師の説明を受けた。
10歳の少女に対し、「絶対に死んではいけない」と医師は真剣に話しかけ、
話し合いは2時間以上にも及んだ。
栄養を取らないといけないことは理解できても、体が拒絶する。
食べ物への恐怖が消えない瞳は、いつ命の危機がきてもおかしくない状態だった。
医師は両親にも説明した。
医師「瞳ちゃんは、お父さん、お母さんの愛情が欲しいんです」
ただし、病院で会うのは1日2時間にしてほしいと伝えた。
重症になればなるほどお父さん、お母さんが優しくしてくれる…。
そういう甘えから抜け出すためだった。
しばらくすると瞳は少しずつ栄養を取れるようになっていった。
5か月の入院生活をえて、12キロだった体重は16キロになり、退院できるまで回復。
しかし、次の摂食障害の症状が彼女を襲う。
それは…「過食」だった。
泣きながら食べる娘を両親は止めなかった。
それは医師からこういう説明を受けていたから。
医師「過食には絶対になります。普通のことなのでこの道を通らないと回復はしません。
決して食べるのを止めないでください」
瞳は食事の量をセーブできない自分を恥ずかしく思い、友達に会うことができなかった。
学校へ行っても保健室で授業を受けたり、先生が家に来てくれたりでなんとか小学校は卒業できた。
小学校卒業時は身長も伸び、体重は38キロまでに回復。
中学へはちゃんと通った。
もうこれで大丈夫と家族も安心したが…彼女の心はまだ治っていなかった。
ボウリングとの運命的な出会い
小学校で遅れた勉強を取り戻すため、必死に勉強。
中学でも、常に100点のオール5をとっていた。
だが、またも自分をトコトン追い込んでしまい、辛くなった時の逃げ場所が拒食症だった。
病気なんだから頑張らなくていい…その理由が欲しかった。
再び、中学1年の冬から学校を休み入退院を繰り返した。
しかしあることがきっかけで、立ち直る。
それは家族みんなでボウリングに行ったときの事だった。
瞳はボウリングで家族みんなの笑顔を見られたのが嬉しかった。
それからというもの…たびたびボウリングに行くことで喜びを感じることができた。
こうして瞳は、拒食症と向き合いながらも中学を卒業。
プロボウラーを目指し、高校は通信制へ。
日中はボウリング場でアルバイトし、毎日夜遅くまで練習に明け暮れた。
時にはボウリングで追い込まれ、拒食症と闘いながら21歳の時、夢のプロボウラーに。
プロになっても、拒食症は治らず、それを誰にも言えず闘っていた。
そして現在…31歳になった瞳さん。
人前では笑顔で明るく、食事も3食とれるようになったというが…。
今でも体重が増える恐怖が頭をよぎることもあるという。
30歳になってようやく拒食症を受け入れることができた瞳さんは、ブログで自分の心の病を打ち明けた。
プロボウラーとして活躍するには体力をつけなければならない。
今はそれが彼女を支えている。
小学3年生で拒食症になって20年。今も瞳さんは闘い続けている。