2010/07/21 三菱が誕生した地 |
大阪。活気漲るこの街に、明治2年、 34歳の、岩崎彌太郎はやって来ました。 |
彼は土佐藩の海運業を扱う「九十九商会」で、 事業を監督する立場に就きます。 |
かつては土佐藩邸内にあった土佐稲荷で、 彌太郎は、日本の未来を見つめていました。 列強諸国に負けない近代化の為に、何をなすべきか・・・。 |
やがて「九十九商会」の経営者にまで上り詰めた彼は、 明治6年、新たな社名を発表します。 「三菱商会」 |
一年後。順調に事業を展開させる彌太郎に、 政府より依頼が来ました。 迫る台湾出兵の輸送を、三菱に一任したい。 |
これほどの大仕事は、彌太郎の堅実な経営方針を、 覆すことを意味していました。 けれど彼は迷うことなく引き受けるのです。 |
「国家の有事に際して、私利を顧みず」 |
これを機に三菱を、日本有数の企業へと育て上げた彌太郎 その根底には、彼の国を思う心がありました。 |
国:日本 大阪
人:岩崎彌太郎 三菱が誕生した地
人:岩崎彌太郎 三菱が誕生した地
曲名:太陽と海の教室 メインテーマ 作曲:服部 隆之 |