2020/05/06 「マタイ受難曲」を生んだ地 |
ドイツの美しい街、ライプツィヒで 「音楽の父」バッハは暮らしました。 |
歴史あるこの教会の音楽監督に 就任したのは、38歳のとき。 |
彼の頭のなかは、いつも音楽のことでいっぱいでした。 他の教会でも仕事をし、音楽学校では若者に教え、 合唱団を指導する。 |
周囲も心配するほど、働き詰めの毎日。 それでも寝る間を惜しみ、作品を生み出します。 |
「マタイ受難曲」 |
3年の歳月を費やした、生涯で最大の作品・・・ |
バッハはこの町で30年近く過ごしました。 いつの日も音楽と向きあって。 |
国:ドイツ ライプツィヒ 人:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 「マタイ受難曲」を生んだ地 |
曲名:管弦楽組曲 第3番 ニ長調「G線上のアリア」
作曲:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
曲名:マタイ受難曲 (終曲合唱)我ら涙してひれふし叫ぶ
作曲:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ |