《タンプル塔のマリー・アントワネットのシュミーズ(肌着)》
1793年頃 リネン、綿 101×83cm
パリ、カルナヴァレ・パリ歴史美術館
©Fr. Cochennec et C. Rabourdin/Musée Carnavalet/Roger-Viollet
1792年8月10日、チュイルリー宮殿が襲撃されたのち、王家はタンプル塔に投獄された。囚われの身となった彼らが衣装一式を所望したため、革命政府は王室に仕えていた御用商人にそれを依頼したが、古文書によれば、供給された下着や衣類は質素なものであった。
王妃の身の回りの品のなかには、「15点の小さなレースが施された薄手の布製シュミーズ」があった。このシュミーズは、バチストと呼ばれる薄手のリネンの白布で出来ている。バチストは18世紀末にはもはや贅沢品ではなく、下着などに用いられるようになっていた。マリー・アントワネットの死後、王妃のシュミーズは娘マリー=テレーズによって保管され、1795年にタンプル塔の警視エティエンヌ・ラヌの手に渡った。