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 宮本武蔵巌流島の謎  #677 (2003/04/13) 

 現在NHKの大河ドラマも放送され注目の宮本武蔵。なんと4月13日は武蔵と佐々木小次郎が闘った巌流島の決闘の日なのです。そこで今回は宮本武蔵と巌流島の決闘に科学の目で迫ってしまいます。ナビゲーターはもちろん、科学の素浪人矢野左衛門。「目がテン!」史上初の歴史人物モノです。

 巌流島の決闘で有名なのが、宮本武蔵の遅刻なんと2時間も遅れたというのです。佐々木小次郎をじらすためとも言われてきましたが、調べてみると、巌流島のある関門海峡は日本で3番めに流れの速い所だったのです。ということは、潮の流れで遅れたのでしょうか?
 なんと便利なことに、コンピューターに当時の地形と、計算で出た決闘当日の月などの天体の動きをインプットすると、簡単に潮の流れが出てしまうのです。決闘のあった1612年5月13日(新暦)の午前は西への流れ。これは武蔵が巌流島に向かった方向に一致。つまり武蔵は故意に遅刻したことになるのです。

所さんのポイント
武蔵の巌流島の決闘の遅刻は故意のものだったようだ!

櫂の刀  巌流島の決闘で武蔵が使った武器は、なんと舟の櫂(かい)を削って作ったものでした。こんなもので小次郎の物干し竿と言われる長い刀に勝てたのはなぜでしょう?そこで矢野左衛門がこの武器を再現してみました。手にしてみて矢野左衛門が驚いたのはその重さ。2.7キロもあり、とても自由自在に振り回せるものではありません。実は武蔵は180cmも身長があったと言われています。男子平均が155cmだった当時、武蔵はかなりの巨漢だったのです。
 そしてこの櫂で作った刀と、木刀と、櫂の刀と同じ重さの鉄パイプで10枚の瓦割りに挑戦してみました。すると木刀が3枚、鉄パイプが7枚だったのに対し、櫂の刀は9枚も割れたのです。これは櫂の刀の重心が先の方に有るため。このため同じ重さの鉄パイプと比べても、振った時勢いが付き、より強い破壊力を生むのです。

剣道対決  巌流島では使いませんでしたが、武蔵は二刀流でも広く知られています。この二刀流、本当に有効な戦い方なのでしょうか?そこで矢野左衛門が1日入門、通常では1本も取れない四段の女流剣士と剣道で対戦します。すると3本勝負で見事1本取れてしまったのです。
 包丁でものを切る時、2本の手では切りませんよね。それはお互いの手の動きを邪魔し合ってしまうからなのです。実は腕力さえあれば、刀は1本で操った方が自由自在に動かせるのです。諸外国でも刀を2本で持つ文化はほとんど有りません。
 「馬に乗る時、両手で刀は使えないだろう」と自らの著書にも記した武蔵。二刀流にはもちろん、防御と攻撃両方を兼ね備えているというメリットも有ります。武蔵は様式美よりも、実を取る現実主義者だったのかもしれません。

所さんのポイント
破壊力バツグンの櫂の刀に、攻撃と防御両方を兼ね備えた二刀流…武蔵は勝つためには手段を選ばない合理主義者だった!


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