知識の宝庫!目がテン!ライブラリー


沖島 の科学
第1299回 2015年11月1日


 「謎の島シリーズ」第2弾!今回向かったのは…日本最大の湖・琵琶湖にある、沖島。実はここ、ニッポンで唯一"淡水にある有人島"なんです。
 今回の目がテン!は…日本で唯一!淡水の有人島「沖島」を科学します!

①源氏"7人の侍"の末裔が今も?

 向かったのは、沖島への玄関口となる琵琶湖の堀切港。1日12便の定期船に乗って、いざ出港!10分後…沖島はもう目の前に!周囲6.8キロの沖島には、現在299人が暮らしているんです。
 さっそく島の探索を開始!すると…道沿いにはなぜか多くの三輪自転車が。すると…三輪自転車をこぐ女性を発見!さっそく後をついていくと、自転車置き場を発見。なんと沖島では、三輪自転車が主な移動手段!  自動車やバイクはありません。さっそく三輪自転車をお借りして島を探索!しばらく進むと…徐々に道幅が狭くなってきました。そこには、昭和の雰囲気漂う狭い路地が続いていました。実はここ、「ホンミチ」と呼ばれる集落の中心を走る生活道路。道幅を測ってみると…142センチ。
 それにしても、島民の多くが使う道なのに、なぜこんなに狭いのでしょうか?実は、沖島の大部分は山で覆われており、平らな土地を確保するのが非常に難しい場所。そのため、湖岸のわずかな土地に143もの家屋が密集し、道幅が狭くなっているんです。さらに道を進んでいくと…土壁で覆われた蔵が。淡水にある沖島では、潮風の影響を受けないため家が長持ちすると言うんです。では一体、どのくらい古いのか?地元に暮らす奥村さんのお宅にお邪魔して聞いてみると…このお宅、なんと100年前から当時のままなんだそう。見ると…梁から棟木、大黒柱まですべて当時のまま。
 奥村さんに島の歴史を聞いてみると、沖島に人が住み始めたのは、"源氏の落武者7名"が流れ着き、それが沖島の先祖となったのだそう。
 時は平安時代末期…保元・平治の乱で敗れた源氏の落武者7人が沖島へ流れ着いたのが始まりだと言うんです。その7人の侍の苗字は、「小川」「北」「茶谷」「中村」「西居」「久田」「南」と明らかになっています。
 確かに、家屋を回り、表札を見てみると…わずか数十メートル走っただけでも7人中、4人の侍の姓を発見!さらに!屋根瓦をみると…源氏にゆかりのある家紋も発見!そして、源氏の代表的な家紋である「笹竜胆」の校章を掲げるのが…沖島唯一の小学校。全校生徒は10人。そのうち7人がなんと!島外から通っているんです。その理由を、校長の森本先生に伺うと…「まず一つはこの自然環境の豊かさ。やっぱりこの沖島が大好きという子どもがいますし。もう一つは少人数の教育を求めていること。
 丁寧な教育を子どもたちにしてもらいたいという親御さんの願いがあるのではないかと受け止めています」。

所さんのポイント
ポイント1
沖島は、古い歴史と子供たちからも愛される自然が残る島だったのだ!


②沖島の生活を支える"千円畑"とは?

 沖島の生活道路「ホンミチ」を進むと、気になる場所が。看板も何もありませんが、入ってみることに。お店には、調味料やお菓子などが置いてあるだけ。実は沖島では、野菜は自給自足をしており、「千円畑」と呼ばれる場所で作っているのだそう。千円畑とはどんな所なのか?さっそく、行ってみることに!すると…そこには、パッチワークのように広がる千円畑が。実はここ、かつて学校の敷地として開拓された場所を、各家庭が千円ずつ出し合って畑にしたことから「千円畑」と呼ばれるようになったんです。と…小川さんの手には、ペットボトル?すぐそばの琵琶湖で畑の水を汲むと言うんです。琵琶湖の水を畑に使えるのは、淡水にある沖島ならでは。さらに、山の上にも畑があると言うのでついて行きました。急な坂を登ること20分…草木が生い茂る山の一本道を抜けると、そこらじゅう石だらけの一帯が!そう、沖島はかつて「石切り場」として栄えた場所。硬くて丈夫な石が採れました。その石は各地へ運ばれ、天下の名城・彦根城の石垣にも使われていると言います。
 そして実は、この石にこそ沖島誕生のヒミツが隠されていたんです!伺ったのは、琵琶湖博物館で地質学を専門とする里口保文理学博士。先生に沖島の石を見せると、花崗斑岩であることが分かりました。
 花崗斑岩とは、地下のマグマが固まったできた非常に硬い石。里口先生によると、「今の琵琶湖がある場所は高い山があったと考えられます。要は湖の環境ではなくて山の環境だった。だから当時あった山の頂上部分が今の沖島として見えているってことです」と解説。
 沖島の成り立ちを説明すると…まず、地中深くにあったマグマが隆起することで、高い山が出来上がりました。その山が風雨によって削られ硬い花崗斑岩が残りました。その後、地殻変動によって地表が沈降したところに水が溜まり、琵琶湖が誕生したのです。

所さんのポイント
ポイント2
沖島は、マグマが固まってできた山の頂上部分だったのだ!


③沖島の伝統漁に密着!"琵琶湖の宝石"とは?

 「琵琶湖の宝石」とは一体どんな魚なのか?港からおよそ30分…目的のポイントに到着。早速、前日から仕掛けておいた網を引き上げます。水中を見てみると…キラリと光る魚影が!これこそ"琵琶湖の宝石"と呼ばれる、「ビワマス」。世界でも琵琶湖にしかいない固有種なんです。このビワマスを捕るためには"あるコツ"が必要だと言うんです。
 ビワマス漁は水温がポイントだと言うんです。そこで!琵琶湖の水温を計測してみることに。すると…水深0m付近ではおよそ23度。さらに、水深10m付近でもおよそ23度と変わりません。ところが!水深15m付近から急激に水温が下がり始めました。その後も25m付近まで下がり続け、それ以降、大きな変化はありませんでした。実は、水深15mから25m付近には「水温躍層」と呼ばれる、温度が下がり続ける層があります。
 漁師は、そのエリアを狙って網を仕掛けていたんです。冷たい水温を好むビワマスは、水温躍層の上を泳ぐアユなどを食べに集まってくるため、この網に掛かるという仕組み。沖島のビワマス漁は、琵琶湖と魚の特徴を知り尽くしたものだったんです。捕ったばかりの新鮮なビワマスは、7人の侍の末裔、西居さんに捌いてもらいます。アユを主食とするビワマスは臭みがなく、料亭にも出されるほどの味。さらに沖島に伝わる郷土料理にも固有種の魚が。乳酸発酵させて作る「鮒寿し」は、固有種の「ニゴロブナ」で作ります。琵琶湖には現在、61種もの固有種が確認されているんです。では、なぜ琵琶湖には固有種が多いのでしょうか?
 立命館大学・琵琶湖Σ研究センターの熊谷道夫教授に聞いてみると…「主な理由は2つあります。ひとつは、琵琶湖が非常に古い湖である。しかも安定的に古い湖であるということ」と解説。琵琶湖の起源はおよそ400万年前。生物が進化し、固有種として生き残るための十分な時間があったのです。そしてもう一つの要因について熊谷先生は…「もうひとつは琵琶湖を取り巻く環境が多様である。例えば温度とか、栄養とか光の条件などいろんな条件があるということ」と解説。では、琵琶湖の中は一体どうなっているのでしょうか?潜水ロボットを使って調べた時の映像を見てみると…そこはまさに"生物の楽園"だったんです!

所さんのポイント
ポイント3
琵琶湖に固有種が多い理由は、生物が進化・適応するための長く安定した時間と、多様な環境が用意されていたからだった!




場所・建物編へ人間科学編へ
前週 次週
ページトップ

ジャンル別一覧 日付別一覧
番組に対する、ご意見、ご感想等ございましたら、番組メールボックスの方にお寄せ下さい。
宛先は、 megaten@ntv.co.jp です。
原則、質問にはお答えできませんが、頂いたメールは、番組スタッフが閲覧し、今後の番組作りの参考にさせていただきます。