• 展覧会のみどころ

本展はタイトルにもあるように、子どもをモデルとした絵の展覧会です。絵や彫刻のモデルとしての子どもはすでに古代ギリシャ、ローマの美術に登場しています。ただし、愛の神ヴィーナスと関連づけられて、翼をつけた天使のように愛らしい子ども(エロス、キューピッド)として登場することが多く、一般市民の子どもが登場することは稀でした。中世のキリスト教美術における子どもといえば、ほとんどが幼いキリストで、救世主として、礼拝の対象として単独で描かれることもありましたが、多くの場合、聖母子像として登場します。この伝統はラファエロをはじめとするルネサンスの画家たちに引き継がれましたが、聖母子像は、これに父親のヨセフを加えた「聖家族」とともに、近代の母子像、家族像の理想とも原点となりました。

キリスト教的な「聖なる母子像」から一般の「巷の母子像」への転換の背景には、子どもを見る社会の目の変化がありました。バロック時代までの子どもはおおむね「小さな大人」、「未完成の大人」と見られていましたが、18世紀に入り、子どもには大人とは一線を画す子ども独自の世界がある、どんな大人になるかはどんな子どもであるかにかかってくるという考え方が広まりました。その結果、子どもの養育、教育の問題、母親のあり方(例えば自ら授乳し養育するか、里子に出し、乳母に預けるか)などが盛んに論議されるようになりました。思想家のルソーの有名な教育論「エミール」もこうした流れの中で書かれましたが、彼はその冒頭で、「我々には子どもというものがまったくわかってない。子どもについてもっている観念がどだい間違っているのだから、進めば進むほど、正道をそれてゆく。(・・・)彼ら(=大人)は常に子どもの中に大人を求め、大人になる前に、子どもがまずどんなものであるかということは考えもしない」(平岡昇訳)。と書いて、大人のエゴを子どもに押しつけ、いわゆる「上から目線」で子どもを見る大人の態度を批判しています。ルソーのこうした批判は、それまでになかった「子どもの発見」という意味で、歴史的にも大きな意味をもっています。こうした流れは子どもそのものへの関心を高め、またフランス革命(1789年)後の市民社会の出現もあって、美術における子どもの露出度はかつてないほどに高まってゆきます。今回の出品作は時代的にはいわゆるアンシャン・レジーム(旧体制)崩壊後の19世紀初めに始まり、20世紀末までの200年近くをカバーしています。基本的にフランスで活躍したフランスの画家が大半を占めますが、全体としては、子どもを描いた近代絵画のパノラマといってよいでしょう。その中には、没年が21世紀に入ってからという画家もいます。スニーカーをはいた、現代そのものの少年なども登場しますが、ピカソをはじめ、「子どもを」ではなく、「子どもが」描いた絵、いわゆる児童画に対する関心の高まりもあり、子どもをモデルとした絵はますます多く描かれるようになります。しかし本展は単に子どもを描いた絵の羅列とは違います。ルネサンスやバロック時代の子どもの絵の多くは、貴族や富裕層の注文によるものでしたが、今回の出品作の多くは画家自身の子どもを描いたものです。つまり、画料はもらわない代わりに、注文主の思惑を気にしたり、モデルに媚びる必要がなく、モデルとしての我が子を見つめる画家の愛情に満ちた率直な眼差しがそこにはあります。画家=親と、モデル=我が子との強い「絆」が感じられる作品が選ばれているという点で、従来のこどもの絵の展覧会とは一線を画しているといえるでしょう。

レンブラントやルーベンスのようなかつての巨匠も、時に我が子をモデルとしたプライベートで親しみやすい肖像を描いており、そこには外からの注文による改まった肖像にはない画家とモデルとの一体感が感じられます。レンブラントやルーベンスが多くの場合、子どもを単独で描いたのに対し、今回の出品作の中には「家族の肖像」の一部として子どもが登場しているものも多数あります。 今回の出品作は全体として、「時代を通して子どもをみる」、あるいは「子どもを通して時代をみる」という意味でも、また親=画家の目を通して見た子ども、逆に子どもの目を通して見た親、家族、大人の世界という意味でも興味深いものがあるでしょう。

本展監修者/成城大学名誉教授
千足伸行