DASH村 ~福島・葛尾村の荒れ地を田んぼに~
21度目となる今年は、福島で米作りを。動き出したのは、2ヶ月前の3月。
目の前には荒地が。「ここが田んぼ」「(除染から)5年でこんなに(草木が)伸びるの?」
そこは、東北新幹線・福島駅と郡山駅の中間地点。山間にある葛尾(かつらお)村。
すぐ隣には「もう10年ぶり。その先がDASH村の入り口やけど…入れんのよね」
DASH村は除染が進んでおらず、今はまだ農業をすることができないが、「TOKIOの米たちは、生まれ育った場所の近くで育ててあげたいね」
故郷のDASH村に戻れることを願いつつ、今年は直線距離でわずか5km。
荒れた田んぼを甦らせ、美味しい米を目指して21度目の米作りを。
今年はTOKIO3人だけでなく、米作りが初めての後輩、岸とシンタローも。
「ここら辺の草も全部無くすんですか?」「ここ田んぼに出来るもんなんですか?」
思い返せば、21年前も荒地を田んぼにするところから始まった。
TOKIOも初めて手にした草刈機で、生い茂っていた雑草を刈り、ブルトーザーで荒地を平らにした。
その作業に欠かせないのは農機具。「役場の方に貸してくれる人を紹介してもらった」
というのも、そもそも葛尾村を米作りの場所に選んだのは城島。村役場の松本さんに連れられ、「(この土地は)震災前は田んぼとして使われていたが、震災後は米を作っていない」
城島が気になるのは、「土がどんな状況か…」葛尾村では5年前、震災当時の土ははぎ取られ、除染は済んでいる。しかし念のため、土だけでなく、草木や水など全て検査し、安全を確認。
そして、荒地を田んぼにするための機械をお借りするのは、地元の畜産農家・吉田さん。
湧き水が豊富で夏も比較的涼しい葛尾は、いい牛が育つと有名で江戸時代から畜産業が盛えた。吉田さんは30年前から、葛尾村で牛の飼育・販売をしていたが、10年前の震災で全村民に避難指示が出され、隣の田村市に避難。3年前に葛尾村に戻って畜産を再開した。
しかし震災後、戻ってきた元住民はまだ2割ほど。
「元気がいい葛尾村を取り戻したい」そのためになるならと、油圧ショベルを貸してくださり、「助かります!なんか始まるなぁって感じがするね」
そして、辺り一面に生い茂ったススキは、米作り初参戦の岸が。
草刈機を持つのは初めてという。慣れないながらも刈り続けること40分もすれば
「めちゃくちゃ気持ちいっす!」
除染後の5年間で、3m近くまで伸びたヤナギは、シンタローが。細い枝はナタで切るが、手こずる後輩に、城島「木にも繊維がある。垂直じゃなくて(刃を)斜めに傾けて切る」
学んだのは21年前、明雄さんから。木の繊維は縦に入っているので、繊維に垂直に刃を入れると断ち切りにくいが、なるべく繊維に沿うように斜めに刃を入れると切りやすい。
2時間ほどかけて切り落とした枝や幹は、隣の空地へ。
男5人で、作業を続けることさらに4時間。草木などで荒れ放題だった元田んぼが平らになってきたが、「あとは土の栄養が足りないね」
ススキは根を縦横無尽に伸ばし、繁殖していくため、土の中の栄養を吸い尽くしてしまう。
「肥料入れて土壌改良せんとあかん」栄養を補うモノに太一、心当たりが。
岸を連れてやってきたのは、先ほど重機を貸して頂いた、畜産農家の吉田さんの農場。
「この辺りに牛じゃない動物がいた。その毛を頂こうと思って」
それは、「羊だ!羊の毛が肥料になるんですか?」
痩せた土壌には、窒素・リン酸・カリウムの3つの養分が必要だが、羊毛にはこの三大養分が全て入っている。なので、羊毛を混ぜれば、「いい土になってくれるはず」
こちらでは、牛の他に村に新たな名物をと2年前から羊も飼育。羊は毛が伸びすぎると30kgにもなり、動けず弱ってしまうので、定期的に刈り取っている。
太一は11年前、城島の40歳祝いで手編みセーターを贈った際、村で飼っていた2匹の羊の毛を刈った経験が。
丁度、刈り頃を迎えた羊を座らせて、一気に。「地面から足が離れると大人しい」
一頭分、合わせて4kg。
そして、刈りとったススキと牛糞、そこに刈りたてフワフワの羊毛も一緒に入れ、踏んで馴染ませ、発酵させる。堆肥が出来上がるのは、約2ヶ月後。