アメリカの東インド艦隊艦船、通称「黒船」が浦賀湾に停泊したのは、江戸時代末期の1853年のこと。
幕府の命令により、久里浜に入港した。できるだけ江戸から離れた場所で船が停泊できる砂浜があったことが入港の理由だった。
一般的に、ペリーが来航したのは、浦賀となっている理由は、浦賀の奉公所が応対したため。

松岡「なるほどな。ここに来たんだ」
謎が解明し、すっきりした二人は、久里浜、浦賀を過ぎ、三浦半島東部の観音崎方面へ。
そして、いよいよ姿が見えてきたのは、東京湾。
その東京湾に面している国道16号線を西に進み、横須賀の市街地へ入ると、そこは都会の町並みだった。
横須賀の中心を抜け、市内を北上し、海を目指して国道16号線を逸れ、長浦港方面へ向かう。

そこには、横浜育ちの松岡には見慣れた光景があった。
松岡「これ全部防空壕だね」
住宅が立ち並ぶ通りにも、その防空壕が。
そして、通りに立つ男性たちの姿。その視線先には、
松岡「でっけー!トンネル?」
トンネルの点検をしている方に、お話を伺うことに。
青木さん「これは地下壕。旧海軍が掘ったんですよ」