ちゃんぽんのルーツは、中国福建省の“什錦湯面(シイーチンタンメン)"。
それが明治時代、海を渡って長崎に伝わり、福建省出身の華僑たちが、日本の具材でアレンジして作られたのが、長崎ちゃんぽん。
長崎から後に、韓国の港町仁川へ伝わり、中華街にて韓国人が好む辛いちゃんぽんとなり、広まったとされている。
日本と同じ豚骨スープと中太麺に、たっぷりの唐辛子を加えたスープ。
太一「後からけっこうピリピリくるね」
ちなみに、韓国の学生には辛さ10倍がお好みの様子だった。
一方、長瀬は山西省の黄土高原に息づく村“后沟村(ホォゴゥツゥン)"。

山の傾斜にちらほらと見える横穴は“窰洞(ヤオトン)"。
それは伝統的な横穴式住居で、地中の温度が変わらないことを活かした、いわば古くからのエコ住居。
その窰洞で暮らす村民、張さんに案内されたのは穀物庫。
見せてくれたのは“粟(あわ)"、これで麺をこしらえると言う。
中国北部の黄土高原は土質がもろい上に、降水量も少ない痩せた土壌で、人々は昔から小麦を育てられず、粟やコーリャンなどの雑穀を栽培して暮らしていた。
つまり、以前に発掘された4000年前の麺の化石は、粟やキビなどの雑穀で作られたもので、人々が雑穀を消化しやすく、おいしく食べられるようにと考えついた形が「麺」であった。

と、今度はロバを引き連れて向かったのは村共同の脱穀場。
この村では、昔からロバに石臼を引かせ脱穀しているという。
作業の際には、ロバの目が回らないようと布で目隠し。
これに2時間程かかるとのことで、しばし待つことに。
一方、太一も山あいの村で、ある名物を訪ねていた。
太一「漆、食べるの!?」
日本と同じ種類の漆だが、この辺りでは料理に使うという。
“漆(オッ)"は韓国では、漢方として古くからお茶などにして利用されており、ここ韓国東部の原州(ウォンジュ)は漆の一大産地として人々の生活を支えてきた。