春、良質の土づくりから始め、根も葉も順調な苗に育っていた三年目の田んぼ。しかし、夏、長い雨と低温と日照不足で急に成長にかげりを見せた。先人たちの知恵を借りて、どうにか成長を促そうとしたけれど、秋、予定遅れの収穫は、豊作とは言い難かった。達人である明雄さんでも「米づくりは難しんだ」と常々言っていたけど、今回、その言葉が身に沁みて感じられた。


生育遅れでまだ穂が垂れていないものや、穂は垂れているが、中に実の入っていないもの。それらに鎌を入れると、いとも簡単に刈れてしまう。最後まで諦めなかっただけに、その軽い手ごたえは本当に辛いものだった。しかし、わずかばかりの立派な稲は、実のない稲に比べ、手ごたえや重量感があり、今までの努力が報われる思いがした。結果的には、少ない収穫となったけれど、稲を刈る悔しさと喜び、それらを一度に体験したことは、自分達にとって、大きな収穫と言えそうだ。


遂に収穫を終え、田んぼに干されている稲。
そこには長い闘いに決着がついたかのように、静寂で、落ち着きがある。縁側からそれを眺めていると、春からの田んぼにまつわる出来事が田んぼ物語として思い起こされた。そして、今までいろんな場所で目にした田んぼ一つ一つにも、このような物語があることを思うと、急に今までしっかりとお米を味わっていただろうかと心配になった。
僕にとって初めての米づくり。今回収穫した新米は、果たしてどんな味なのだろうか?例えそれがどんなものでも、僕は「うまいっ」と言って、一粒残さず食べられると思った。


木の葉が殆ど散り、田んぼに稲がなくなり、ますますの冬景色。そして、綺麗に揃った稲の切り株を踏みながら歩くと、それがまるで、迫る冬の足音のように聞こえた。

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